『SM奇譚
創戯旅団』作品集第二弾。
本作品集では、第334夜から第666夜までの物語を収録しています。SMクラブという特殊な世界を舞台に、経営者としての葛藤、人と人との絆、笑いと涙、挫折と再生、そして時代の変化を、実体験を基にした長編ヒューマンドキュメンタリーとして描き続けます。
女王様、M女、お客様、スタッフ、それぞれの人生が交差し、風俗業界note記事のハッシュタグが全てぶっ飛びました(SM奇譚 創戯旅団 第388夜)
2026-10-01up
ここ4日ほどnoteのスキの動きが極端に鈍り始めました。それと同時期に私の全記事のハッシュタグが喪失している事に気づきました。何かがおかしいと思った私は、自分に関係あるハッシュタグを検索に打ち込んでみました。全く表示されません。次に、自分のアカウント名を検索してみても表示されません。これはいよいよおかしいと気付くじゃないですか。新しくアップしている記事に関しては、以前の記事と内容に変わりはありません。noteにはXの様なシャドウバンが果たしてあるのでしょうか?そもそもが、半年間もアカウントを運営していてペナルティを受けた事は1度もありませんでした。そこでGoogleで何か不具合が出ていないかを聞いてみました。すると9月15日にnoteのハッシュタグに関する仕様変更があったそうなのですが、その後から同じ不具合が多数出ていると答えが返ってきました。しかし、ハッシュタグの喪失に気がついたのは4、5日前です。私が見過ごしていたのかもしれませんし、5日前に何かしらのペナルティを受けているかも知れません。センシティブな行動はしてない筈なんですよ。垢BANだけは後免被りたいので、SMクラブのニュース発信をする事を放棄して、noteでSMに関するコラムと小説を公開する戦略に変更したんですよ。そこまで対策しても、僅か半年でトラブルに巻き込まれるのかと驚きを隠せませんでした。他のSNSを稼働させるよりも遥かに手応えを感じていただけに、この危機をなんとか乗り越えたいと思案しているところです。ただの不具合ならば何の心配もありませんが、ペナルティを受けているとなると更新ルーティンを変更しなければいけません。個人による情報発信の難しさです。コンテンツの仕様変更やアルゴリズムの微調整だけでも、こちらも大きく行動を変えないといけないのがネット戦略です。特に、私が発信しているのはSMクラブに関する情報なので、真面目な内容に限定してもセンシティブ判定を受けるリスクがあります。XもFacebookも垢BANに苦しみました。今年に入ってnoteと出会いようやく苦しみ続けた問題を突破出来たかと安堵していたら、今回の出来事です。しかし、データは全て残っているので情報を失った訳ではありません。まずは、トラブルなのかペナルティなのかをはっきりさせなければいけませんね。noteに不具合の質問メールは送りましたので、回答が気になるところです。どれくらいで返信が戻ってくるか、しばらくはnoteでの活動の勢いが削がれてしまう可能性がある事を先にお詫びしておきます。
SM奇譚
創戯旅団 第388夜 note記事のハッシュタグが全てぶっ飛びました
※2026年10月01日08時33分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年10月01日07時33分【NOTE無料投稿】
念の為にnoteに別アカウントを4つ保持してたんですよね。地道に各アカウントのフォロワーだけは増やしていました。XやFacebookでの垢BANの苦い経験から保険だけは打ってたんですよね。一応頭の中ではペナルティを受けていた場合の対処法までシュミレーションは既に出来ているので、ペナっていると判明した時点で次の一手を打ちます。ここまでは書いていたんです。昨日の朝には全て正常な状態に戻ってました。不具合が原因だったようで、即座に修正されていました。本当にビビらせないで欲しいですね。また、今までの努力が全て水の泡になってしまうかとヒヤッとさせられましたよ。これがSNSの怖いところです。アルゴリズムの変更やコンテンツの禁止事項の追加で一瞬にして天国から地獄に突き落とされるのが現代社会の怖さだと肝に銘じて行動します。それはどういう事か?今、私は各コンテンツに情報資産を地道に蓄積しています。コラムや小説は、SNSのプロモーションの文章とは一線を画します。テレビで言うところのCMでは無く番組なんです。情報資産として、今後も永遠に残るモノを意識して執筆していたんです。もし頑張って育ててきたSNSが垢BANされてしまっても、データを載せ替えれば情報資産として違うコンテンツで復活させたり、少し表現を変えて同じコンテンツに別アカウントとして再登録出来る奥行きを持って活動していました。一発で過去の努力を全て無くしてしまう設計だけは避けたんですよ。私が発信している内容はSMクラブやSMに関する内容を主にしているのでセンシティブ判定を受けやすい活動です。実際には、内容を読んで下さっている読者様はご存知ですがSMもSMクラブも真面目な記事ばかりをアップしてます。5,000文字以上のコラムと小説を書いているのですが、内容を吟味してペナルティの判定を下す訳では無くアルゴリズムによる自動判定でアウト判定が出てしまいます。コラムと小説であればバックアップデータさえあれば復元出来ます。価値が無くなるモノではありません。情報が資産化されます。同じ時間を使うのであれば、過去に作った情報資産を永遠に流用出来る設計にしたのです。私がマネタイズを度外視して動いていたのはその為です。今後の事を考えて保険を打っていたんですね。私は年齢も若くありませんので、時間を無駄に使う事は出来ません。コツコツと作品作りに励む事を最優先にしたんです。それが正しいか正しくないかは個人の価値観なので賛否両論です。SNSはマネタイズ最優先と考える人を間違っているとも思いません。時は金なりですから。しかし、私のようなセンシティブでマジカルな界隈に生きている人間の場合は話は別になってきます。表現をぼかして活動を継続するのもありですし、私みたいに真面目な作品に昇華させる手法も効果的でしょう。その中でも常に垢BANの危険性だけは無視出来ません。15年以上もネット社会を泳ぎ続けているのですから、何をしたら溺れ死んでしまうかは肌感で分かっています。私は垢BANありきの活動にシフトチェンジしていたのです。まさか早々と保険を使う瞬間が来てしまったかと思いましたが、どうやら不具合で済んだらしいです。note運営からも不具合の修正が完了しましたと、先ほどメールが来ました。
なんとなくネット社会の常識というものを周りの感覚に合わせて考えている自分が過去には居ました。しかし、ベテランになった今は少し考え方に変化がありました。ちょっとした仕様変更でオワコンになってしまう危うい構造設計はダメ。かといって経費がかかる生き方はもっとダメ。今の時代は全員がネット商売の土俵に上がっていますし、若人達は生成AIを味方にベテラン以上の精度の高い仕事に仕上げます。最近は何を武器にして周りと戦わなければいけないかを再構築していた時期だったと思いますね。この年からのゼロ発進は半端なくきつい判断でしたが、やってみて良かったと今では思えていますよ。私にしか出来ないであろうスキルは手にしましたから。普通の生活をしている人には語れない発信を、私はしているのだと思います。誰にでも出来る世界では無いんです。頭の中で考えても答えは出てこない世界です。何度も何度も失敗して痛い目を見なければ本当の事なんか見えてこない世界じゃないですか。暗黒啓蒙は攻略不可能ですよ。最適解なんか存在しません。だから、覚悟の無い人間が語って良い世界ではありません。NHKのダークサイドミステリーでマルキ・ド・サドの回がありましたが、随分と浅い事言ってるなと感じました。NHKでさえ、この程度のクオリティしか出せないかと落胆しました。しかし、あたり前かとも思ってました。NHKで番組を作っているエリートに敗者の深層心理を語れというのが土台無理な話なのです。刑務所に幽閉されている人間の心理を刑務所に入った事もないエリートが語れると思いますか?ダークサイドミステリーのミステリーの部分はどこにあるのかな?と疑問符が付く内容でした。丸山ゴンザレスを絡めてクレイジージャーニーチームが作った方がもっとおもしろい番組が作れたでしょう。或いは、ホリエモン監修の方がまだ現実味がありそうです。ホリエモンは特殊性癖をお持ちですし、獄中の日常まで把握してます。disりではありません。リアルな描写を出来るか出来無いかの話をしています。脱線しましたが、落語の演目はコント芸人には作れないという単純な話です。エリートには、私達が日々凌いでいる地獄の日常は理解不能です。なので、私のコラムや小説を読むと普通の人は『マジかよ?』となりますよ。元が狂った世界ですよ。正常な感覚で判断出来る世界ではありません。頭のネジでも飛んでないとこの世界に入り込んで生きていく事は出来ません。『違う!私はまともだけどね!』という言葉が四方八方から聞こえてきそうですが、大丈夫ですか?それは多分、まともだと思い込んでいるの間違いです。その思い込み、思い違いですwさらにはトラブルありきで考えておかないと、いざトラブルが発生しても対処出来ませんよ。事情聴取したところで、全員がポジショントーク。この場合は嘘八百しか語られる事は無いという最悪の状況です。そこから、即座に真実を見極める事は不可能に近いのです。真実は時間が経過しないと見えません。状況証拠しか、問題が起きた時には出てきません。時間が経って、関係者のその後の行動でようやく答え合わせが可能になるのです。私達の界隈は、読んで字の如くダークサイドミステリー。暗黒啓蒙に侵食されているのです。机上の空論で語れるほど生温い世界ではありません。だからこそ価値があるのも、また事実です。現場にいる人間にしか語れない真実がそこには存在します。生き地獄の情景描写が、私の書き物だと考えて下さい。地獄に居る者にしか書けない書物なのですから、書き手の頭のネジは外れていても何ら不思議ではありません。さて。これは病ですか?違いますよね。これを病気と呼ぶならば、東大生の頭の良さにしても病気の一種です。そんな事を言ったら東大生は怒るでしょう?ザッヘル=マゾッホが怒るのも無理はありません。例えばそれは、私達がSMに倒錯するのは病気ですか?BDSMとか語り始めている時点で常識がある方ですよ。むしろ『私は至ってノーマルだ』なんて言っちゃてる人間の方が眉唾じゃないですか。一人としてど真ん中な人間なんていませんよ。SとMを併せ持っている人ばかりです。勝手な分類をしてマウント取ろうとするなよと反論したくなりますよね。ポジショントークにしか聞こえない。私達は自分の性癖に正直なだけでしょう。しかし暗黒啓蒙に支配されているのもまた事実。界隈の闇の実態を克明に記してあるのが『SM奇譚
創戯旅団』です。様々な角度から何度も人間を検証しないと、本当の真実は見えて来ません。難解だからこそ面白いのです。この話は、真面目な話でしょうか?胡散臭い話でしょうか?貴方はどう感じましたか?ここが重要なのです。簡単に垢BANやペナルティの対象にしないで下さいね。真正面から暗黒啓蒙と対峙して、更生への道を真剣に探っているのです。私は真面目な取り組みだと本気で考えています。この世界が必要としているのはコンプライアンスを遵守しても食べていける確約ですよ。政治に置き換えましょうか。地獄の様な生活を少しでもまともにしようと倒幕へ動いた熱い人間が居たから、明治時代が訪れたのです。界隈の現状を暗黒啓蒙と言い表してますが、誰も染まりたくて染まってない筈なんです。しかし生きる為に暗黒啓蒙を受け入れるしか無かったのです。私の様な頭のネジが外れた人間が、率先して新しい仕組みを考えないと、時代が先に進まないじゃないですか。「船中八策(せんちゅうはっさく)」が必要です。これ以上、風俗業界に既得権益を蔓延らせるのは絶対に良くありません。私達の手で倒幕を完遂しましょう。錦の御旗はこちらにありです。民を苦しみから解放しないと、新しい時代に向かう事は出来ません。私の風俗人生を賭けた集大成のプロジェクトだと思っています。こんな大事な活動を簡単にペナルティにしてくれるな。それを言いたくて、今回は緊急差し込みコラムを作りました。何事も無くてホッと胸を撫でおろしました。
SM奇譚 創戯旅団 第386夜&第387夜
2026-09-30up
人は失敗をする時に目に見えないパターンを持っています。これから語る話は、私がSMクラブという暗黒啓蒙に支配された世界で戦っているからこそ見えた転落回避論です。無意識に致命的な失敗をしているので、バッタバタとSM嬢が倒れて行くんですよ。救ってあげたいのに、嬢が盲目に暗黒を啓蒙していると、どこで躓いてしまうかは分かっているんですよ。メカニズムは存在するんです。今回は、風俗嬢がハマりやすい失敗を分解して分かりやすく語ってみようと思います。嬢だけではなくお客様も同じ失敗をします。面白いようにやらかします。そして、やらかしてないとシラを切ります。ダブルスタンダードはこうやって深い闇を拡げて行くのです。暗黒啓蒙とは、貴方のすぐ隣りに潜んでいる罠の事ですよ。或いは、落とし穴と表現する方が分かりやすいかも知れません。
SM奇譚
創戯旅団 第386夜 転落のメカニズム
※2026年09月29日10時55分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月29日10時33分【NOTE無料投稿】
最近は風俗の闇を暗黒啓蒙という言葉で表現しています。露骨に他人の考え方を批判してしまうと、伝えたい事が伝わらなくなってしまうからです。『貴女が間違っているのではなく世の風潮が間違っているだけだと思います。なので、ロジックさえ理解出来てしまえば修正は充分に可能だと思いますよ。』と伝えたいのですね。ここ最重要課題だと感じています。風俗人の7〜9割が失敗するのであれば、失敗した所をスタートラインに設定してあげないといけないんです。切り捨てるのも合理的ですが、9割を切り捨てる事になる訳ですから、マネタイズが苦しくなるのも事実です。それ以上に、風俗の扉を叩いてくれた貴重な仲間を地獄に突き落とす様で、間違ってるのは俺か?と考えさせられる部分もありました。ちゃんと苦しんでいる人間が更生出来る構造にしないとダメなのかも知れないと考えが変わってきました。例えばそれは、最近の話になりますが、六本木の有名キャバクラ店の人気嬢がお薬で捕まったじゃないですか。肯定する事はありません。しかし、転んで終わりでは、水商売としての構造が不完全です。お水や風俗は一般社会からのドロップアウト組で出来上がっている商売です。極端に足を踏み外す前から暗黒啓蒙に毒されています。そこから脱却が難しいのが夜の世界だと私は本気で思っています。拘留から釈放された時にやり直しが出来る場でないと夜職はいけないと思います。しかし、六本木のケースは更生が難しいかも知れませんね。警察車両の中で仲間にサインを出してたじゃないですか。武勇伝になったとでも思い違いをしていなければ、あの行為にはなりませんよね。ちゃんと反省して欲しいんです。でなければ暗黒啓蒙から脱却は出来ません。反省して、やり直せる場で夜職はあって欲しいと真剣に願います。暗黒啓蒙のままで、夜職を終えてしまう人も多い業界です。それはラッキーだったのでしょうか?正解だったのでしょうか?どうも違うのではないかと、私は思います。正解でも不正解でもないままにお金は貯まったという結果だけが残りましたよね。ひょっとしたら、それでもいいのかも知れません。そうやって、働いていた過去を無かった事にしてお金だけ貯まった事を成功と呼ぶ人は多いのかも知れません。そう思っている人に間違ってるよと、過去を掘り起こす様な事を言う気はありません。しかし、夜職をやっている中で躓いて、反省してやり直したいと思う人だっているじゃないですか。そんな人達に二度轍を踏ませますか?今の界隈は踏ませている可能性が高いと思います。それで本当にいいんですか?良い訳がありませんよね。更生出来る仕組みがないのが、夜職の欠点だと本気で悩んでいます。暗黒啓蒙の恐ろしさです。具体例を出して説明します。派遣型風俗店が法律に定められた背景まで遡りましょう。派遣型風俗店が風営法に書き記される前は、女性を派遣する風俗は法律では定められていませんでした。DC(デートクラブ)、ホテトルと呼ばれる闇風俗がありました。闇営業なので本番はデフォルトです。当時は頻繁に摘発されていましたね。それが派遣型風俗店として法律で認可されて、その代わりに本番営業が禁じられたのです。これがデリヘルやSMクラブの起源です。それまではSMクラブもプレイルームを持つ闇風俗の一種でした。その流れを引き継いだままに本番してしまう女性も多く存在します。お客様もDCやホテトルのサービスを平然と要求します。時代が変わっても、出会い系アプリ(出会い系サイト)、交際クラブ、援交、立ちんぼから派遣型風俗への流入は変わりません。派遣型風俗店で働いていても愛人稼業クオリティの仕事が最適解だと信じ込んでいるので、本番をやらないと稼げないと考えています。これが暗黒啓蒙の実態。問題なのは運営側にもDC、ホテトルの経営者が居たり、デリヘルから風俗に関わっている人達も本番肯定もしくは黙認が正解だと考えている人間がいます。SMクラブに至っては、前身がプレイルーム付きの違法風俗扱いです。界隈が昔からの悪い悪習を引き継いでいる闇まで存在します。お店、キャストさん、お客様の思惑が合致して本番が肯定もしくは黙認されてしまう。それが正しいとキャストさんも本気で思い込んでいます。本番が風営法で禁止されているのにこの惨状です。西川口の本サロみたいなマイルールを勝手に作り上げてしまっているのです。そうなると警察からしてみれば目の上のたんこぶです。いずれは壊滅させてやろうと虎視眈々とタイミングを推し計らっている事でしょう。私が勝手な思い込みをしているのではありません。法律で定められている事です。それが守られていないのは不健全と言い表しても言い過ぎではありません。私が風俗の失敗にはメカニズムがあると断言する根拠がこれです。失敗は無意識に行われてしまうのです。そして、失敗している自覚さえないままに風俗人生を終えてしまいます。『なんか納得がいかん』と私みたいな曲がった事の嫌いな人間は声を出し始めます。ところが、それをまともに誰も聞く気はありません。無意識で失敗の境界線を超えてしまうのは、本当は恐ろしい事です。例えばそれは、日本人は広島と長崎に原爆が落とされた事はあってはならない虐殺だと言います。なのに、真珠湾攻撃も南京大虐殺も反省する授業は学校にはありません。なんと自国の都合の悪い暗黒史は隠して日本人の悲劇だけを誇張します。これも暗黒啓蒙の一種。ポジショントークであり同調圧力でありプロパガンダです。人間がフライトする零戦でミサイル代わりに特攻するなんて、零戦のパイロットは望んでませんからね。風俗の暗黒啓蒙も同じ事です。風俗で働く事を、海外のセックスワーカーと同義にしてはいけません。日本の風営法が本番を否定しているならば、本番が存在しない日本独自の性文化を構築しないといけません。それが本来の人間の創造力ではありませんか。どこかで思考停止してしまったのが風俗の暗黒啓蒙であり同調圧力であり、目に見えない失敗のメカニズムです。サイレントミステイクとでも言い表した方が良いのでしょうかね。
私が暗黒啓蒙という言葉を多用する様にしたのは、実は意図的です。本番厠だの穴貸しだの援交クオリティだのと表現してしまうとdisりばかりが強調されてしまいます。それは本意ではありません。間違った方向に向かってしまった人達を救う事が目的の、正義の錦の御旗を掲げないといけません。私は失敗してしまったところが、本当のスタートラインだよといつも柔和に諭しますよね。9割の人が失敗するのに、その9割を断罪してしまったら、私は只の人でなしになってしまいます。9割の失敗する人の中の何割かが更生出来る構造を考えないといけないんです。だから暗黒啓蒙と言葉を濁す事で、反対のイデオロギーで働いていた人間を一人でも多く思考を矯正出来る余白を残す事を意識して言語設定したんです。暗黒啓蒙のまま風俗を完遂させないで欲しいと真剣に業界の問題点に向き合っているんですね。そんな事は、風俗人は全員分かっていると思います。しかし、同調圧力で誰も声をあげないのもまた事実です。見ないフリをしていれば自分にも利鞘が生まれるので好都合なんです。だから暗黒啓蒙なんですよ。本当ならば、私がやっている事なんて、とっくに誰かが具現化して-ないとおかしいじゃないですか。ところが誰一人として風俗教育なんて機関を作り出そうとしないですよね。それは何故なのでしょうか?水面下では本番がデフォルトになっている事を暗に認めてしまっている証拠ですよね。その方が都合良かったのです。お金が儲かりますからね。なので風俗教育は目の上のたんこぶ扱いされてしまう現実があったという事です。『これは俺にしか出来ない事だよ』と私が言い続ける所以です。私は空気を読まない頭のおかしい人だったから、このプロジェクトを着手出来てると思っています。本来であれば正義の大義名分はこちらにあるんです。先程の『錦の御旗』発言は、冗談では無く本気の発言です。全くやれやれです。風俗の背景や文脈、立体構造まで説明しないと、誰も正確な理解に辿り着かないほどに、誰も知らなかった、否知らされていなかった、否意図的に隠されていた真実ですよね。私はKYなので全部分解して可視化してしまった訳です。『違反しないと稼げない』と言ってる人に正解があるのか、『あと一つ構造を追加すれば本番無し風俗は文化に昇格する』と言っている私が勝鬨を挙げるのか。私自身も興味がありますね。ちょっと嫌な予感を感じますが、勝てば官軍的な結末は避けたいですよね。正しい事を正しく執り行う業界構造を作っていかなければ健全化とはいえません。『デリヘル界隈浄化作戦』は暗黒啓蒙とのガチンコ格闘倶楽部なので、長期決戦の色合いが強いのだろうと予測します。私が生きている間にプロジェクトくらいは完了させたいのですが、その為には良き理解者が必要です。私が言っている事っておかしな事ですか?見て見ぬふりが正解とは思いたくありません。
では元のテーマに戻ります。総括すると『失敗のメカニズム』とは、まずは失敗を失敗だと正確に把握するところから全てが始まります。何を持って失敗と位置付けるかは、自分が自分の子供に正しい事を教える時や、法律を作るための正常な判断や、教習所の教本や学校の教科書作成の為の判断力を必要とします。マネタイズを最優先に考える事は、暗黒啓蒙を肯定する愚行だと自覚しましょう。これは政治や戦争の是々非々を判断する時にも同じ事が言えます。自分のポジショントークで世の中を語ってはいけません。何を持って最適解とするかに正解はありませんが、暗黒啓蒙の危険性は真剣に考えた方が良いと思いますよ。それは、民主主義だろうと社会主義だろうとイスラム原理主義だろうとBDSMだろうと暗黒啓蒙が拡がると軍国主義、帝国主義に簡単に変貌してしまう事を忘れてはいけません。主義主張に正解なんて、実はありません。しかも、どちらの界隈の発想も、他の界隈より少しだけマシになるだけで、油断していると暗黒啓蒙にひっくり返される危険性を孕んでいると考えるべきでしょう。主義の中にBDSMまで混ぜたのは意図的です。BDSMでさえ本番を肯定してしまえば暗黒啓蒙です。言っている意味合いは想像以上に深いですよ。一人一人がきっちりと自分の考えで、何が最適解を考えて見て下さい。私が考える失敗のメカニズムに近い考え方をしてくれる人がいると良いのですが。同志が現れる事を祈っています。こんな簡単な事を、ここまで死闘をしないと理解さえして貰えないのですから暗黒啓蒙恐るべしです。『SM奇譚
創戯旅団』を千一夜物語に設定して本当に正解でした。それくらいに理想の実現には時間がかかるでしょう。前途揚々となるか前途多難となるかは未知数ですが、noteで仲間が爆増している事に心強さを感じます。もっと多くの人達に私達の正義の戦いを知って欲しいと願っています。この輪を拡げて行く事が、嬢やお客様、いずれはお店や業界を暗黒啓蒙から引き戻すと狙いを定めています。
今回の話題は久々の風俗ポータルサイトネタです。相変わらず風俗のデフレスパイラルが解消されないままに2026年も風俗業界は消耗を続けています。少しずつは目に見えない形で、風俗ポータルサイト離脱を視野に入れた動きも出てきているなと思うのですが、まだまだ勢いには弱い物足りなさを感じます。しかし、次の世代へ向けた試行錯誤が水面化で始まっている事は喜ばしい限りです。早く『風俗ポータルサイト終わり』が来ると良いですね。次世代に風俗ポータルサイトが相手にしないとならないライバルは大手SNS、CtoCの皆様、生成AIです。ポータルサイトでは太刀打ち不可能な強烈な時代が到来します。いよいよ風俗ポータルサイトが詰むタイムリミットが近づいてきたという事です。どんなコンテンツでもやがて終わり(オワコン)を迎えます。絶滅はしないのでしょうが、全盛期の勢いを取り戻す事はあり得ないでしょう。風俗ポータルサイトに痛めつけられた人々は恨んでいるので、大手風俗ポータルサイトに広告を出す人間は少なくなるでしょう。そんな逆風が吹き始めると社員が逃亡を図ります。バブル期末期のリクルートの凋落を再現してくれる事でしょう。合掌。
SM奇譚
創戯旅団 第387夜 1強多弱、2強時代を終わらせろ
※2026年09月30日01時11分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月30日00時55分【NOTE無料投稿】
大手風俗ポータルサイトの力関係は今どのくらいでしょうか?1強多弱時代?2強時代?10年以上も力の均衡は変わらずでしたね。その間に、何回広告代が倍々に跳ね上がりました?代わりになるライバルサイトが存在しないので、風俗店の足下を見て料金を跳ね上げてきたのです。そして、完全に風俗店を情報弱者化した搾取体制を構築しました。それでも風俗店は売上を作る為にネット広告を頼らざる得なかったので、広告媒体の価格高騰を許してしまうしかありませんでした。昔はやくざのみかじめ料ってあったと思うんですよ。徐々になくなりましたけれど、あんなもんが可愛いくらいに、エグい金額が広告代として消えていきます。広告代が48万円+消費税とすると528,000円です。さらにオプション広告までありますから、搾取し放題の状況が出来上がります。しかも風俗サイトの構造設計に問題がありました。割引を競わされ、読者の口コミや人気ランキングまである。一見すると親切な作りに見えますが、中身は真逆の効果をもたらします。風俗店は人気を出す為には価格を下げて人気ランキングの上位にランキングされないとお客様がお店に来ません。さらに、大手風俗ポータルサイトの写メ日記とメッセンジャーに問題があります。嬢は必死に写メ日記とメッセンジャーを稼働させて営業活動をするのですが、そこには作業対価は発生しません。タダ働きなんです。一体どれくらいの時間を無駄にしてしまうかを考えた方が良いと思いますよ。情報は今のネット社会では土地を持つのと変わりません。情報が資産になる時代です。サブスクはその構造がマネタイズされています。SNSの収支化も同じ原理です。情報を作り込めば個人の資産になる仕組みになっているので、ビジネスを利用しなくてもお金儲けが出来る社会になってきました。カスタマーtoカスタマー(CtoC)時代の到来です。その中でも写メ日記は更新すれば更新するほどタダ働きになる構造になっているのが問題です。しかもログ(記録)は6ヶ月で削除されてしまいます。消されるのですから資産にはなりませんよね。労働対価が発生しないですから、永遠にタダ働きさせられます。ヤクザよりやってることがエグいですよね。嬢はタダ働きした挙句に、風俗店のデフレスパイラルを煽る協力までしてしまうんです。『写メ日記を書かせてください』『オフィシャルホームページにヴィジェットを組み込んでください』『嬢にメッセージのやりとりをサイト内でさせてください』『ニュースを更新してください。』『他サイトのヴィジェットを組んだら人気ランキングの順位を無効にします』随分と言いたい放題に風俗ポータルサイトは図々しくタダ働きを要求してきます。独禁法違反となんら変わりありません。しかしSNSがサブスク化して、個人SNSアカウントが収益化出来てしまう様になると、風俗ポータルサイトの傍若無人っぷりは徐々に無効化されます。少しずつ風俗ポータルサイトを経由せずとも集客出来る仕組みが形成されているのを見逃してはいけません。相手が世界の強豪SNSでは風俗ポータルサイトでは勝ち筋はありません。数年先には、ポータルサイトは衰退するしかないでしょうね。それでも風俗ポータルサイトは痛くも痒くも無いでしょう。既に荒稼ぎし終わった後ですから自分達は悠々自適です。切り捨てられるのは営業マンと広告代理店だけです。祭りの後は、実行部隊は完全に用済みですから、不採算部門とばかりに切り捨てられるでしょう。私達はそんな不健全な業界を作ってしまったんですよ。これを良しとしてはいけません。中間搾取業者だけが儲けて、本業の風俗店とキャストさんの生活が苦しくなってしまうのでは本末転倒です。現場が強い健全な業界へと再編させるのが私達ベテラン風俗人の仕事でしょうね。風俗の構造が完全に崩壊していると思わされるのは、スタグフレーションになるくらいに物価高騰が起こっているのに労働賃金が現状維持なのが大問題なんです。洒落にならないくらいに生活が苦しくなってしまいます。一部の勝ち組のキャストさん以外は全員が苦しめられる筈です。私はそんな業界の悪い流れは絶対に良く無いぞと、ずっと声を上げているのです。しかし、私が騒いでいる内容が具合悪い人間が沢山いますよね?大手風俗ポータルサイトと営業マン、広告代理店、スカウト、一部の勝ち組風俗店とそのお店のキャストさん。この人達は今のサイクルで利益を貪っているのですから、利益構造を破壊されない様に必死に反論してくるでしょう。であるならば、苦しめられている風俗店に関わっている皆さんは私の孤軍奮闘っぷりを応援して下さいね。私は特攻隊長となり、全ての矛盾を問題定義して拡散します。その先に今までより遥かにマシな風俗業界を思い描きながら、現在の不健全な利益循環構造をぶっ壊す為に戦います。破壊しないと、私達は苦しいままになりますよ。今の環境に怒りの声を上げて下さい。漫画『お〜い!龍馬!』で長州藩の桂小五郎が他人の家の軒下に泥に塗れながら潜伏しているシーンを思い出してしまいます。私が共感出来る決死の戦い方です。薩長同盟、倒幕、明治政府組閣までを生き延びていく桂小五郎の逞しさと粘り強さを、私も学ばなければならないでしょう。その師、吉田松陰の思想を拡げる智略に天才的な先見の明があったと感嘆しています。最後には自分の命を捨て駒にしてまで倒幕への道筋を作り上げた生き様はお見事。時代を進める為の世直しを長州藩士は完璧に具現化したのです。私も先人の知略をトレースしたいのですが、私に大手ポータルサイト以上の広告効果を生み出す魔術はありません。しかし、誰かがやらねば業界の構造を変えていけないじゃないですか。私は捨て駒になってでも、現場に一番優先権がある健全な業界へと作り替えないといけないと本気で思っています。甘えも油断も一切許されません。この瞬間も苦しめられている風俗嬢と風俗店がある以上は、私は戦いを止める事は出来ません。風俗に関わる全ての人に対する、私のリスペクトは深いですから。例えばそれは、私は本番や本番黙認の風潮を憎んでいますが、全てのSMクラブを全く憎んで無いじゃないですか。業界の閉鎖的な慣わしや追い込まれた時の突き抜け方も、追い込まれて即興性が求められたからそうならざる得なかったのです。暗黒史を理解を出来ているのでSMクラブを憎まずに暗黒啓蒙を憎んでいるんですよ。私は全てのSMクラブと共に力を合わせて戦う立場にあるのであり、SMクラブと歪み合わなければいけない立場ではありません。私が全てのSMクラブが違反しなくても食っていけるような面白い構図を作らないといけないと本気で試行錯誤しています。気の遠くなる長い道のりになるでしょうが、少しずつでも前進して行きましょう。実際に、既に私の発想は異次元の構想(誇大妄想?)に膨らんでいるじゃないですか。それが正しいとは私は思っていません。しかし、マネタイズの天才が関われば、私の発狂ビジネスは有効な奇策に化けます。何度でも言いますよ。発狂構造だから価値があるんです。人並みな発想では何のインパクトもありません。『何でこんな事を考えついた?』と必ず言わせて見せましょう。既に原案は出来上がっています。
これは私の人生を捧げる大革命です。私が金持ちになる計画にはなっていません。私をお金持ちにして下さいみたいな自分勝手なお願いは一度もしていません。事ある毎に、『デリヘル浄化作戦』の話ばかりをしています。風俗店の人間っぽく無い動きをしていますよね。マネタイズには魅力を感じなかった証明です。経営者としてはあまりにも異色な存在だと思います。経営者なのに、自分を後回しにしているのは、本来であれば経営者失格です。海軍の上級大将が零戦に乗っちゃったみたいな。そして奇襲をかけたら、速やかに離脱して全員が無事に生還してくる戦術を使うでしょうね。零戦を人間ミサイルにする戦術は世紀の愚策だったと私は思っています。あの作戦を最初に考えた人間は死刑になりましたか?日本の前途ある若者を爆弾代わりに使ったのは絶対に許されない行為だと思いませんか?『戦うなら自分が先頭に立て!守るなら自分が盾となれ!』私が必ず先陣を切り、必ず殿を務めるのは、その戦い方を実践しているからです。後方で自分だけが守られている姑息な戦い方は好みません。汚名を被せられてまで、自分を守りたいとは考えていないから、今の戦い方になっているんです。私の生きる原動力になっているのは他人を下支えする事でしょう。根っこがマゾヒストなんだと思いますよ。
『風俗ポータルサイト壊滅作戦』は私がSNS(note)を使いこなしゲリラ作戦で戦いを挑む事で、戦い方の見本を自ら示します。界隈の皆さんも共闘して下さい。様々なリンク、呼応の仕方で支援し合う横の繋がりを強くしましょう。ネットの相互リンクを、私たちもカスタマー同士で有効活用しようではありませんか。仲間達の存在があるから諦めずに戦えるんです。どうにも私の野武士気質は治りようがありませんね。山から降りてきて背後から敵を槍でプスッと刺して山に戻って行く。どの山に潜んでいるかは掃討作戦をしようにも兵士を避けないから不可能。そんな生存戦略を考えさせたら、私の頭脳は最大限に活力があります。ゲリラ戦に特化した戦術が、私に唯一授けられた能力でしょうね。それだけで満足です。私には『大軍を率いる才能はありませんが、野武士を率いる才能だけはあります。』これからも局地戦を制しながら生き延びましょう。今この瞬間も次に繰り出す奇襲の原案を私は考え続けています。おそらくは、このコラムが発表されるのは、執筆から3ヶ月後になると思います。リアルタイムではW杯ブラジル戦の15時間前です。マイアミの軌跡からどれだけの期間が経ちました?20年?30年?次の軌跡を起こす時かも知れませんね(結果は負けましたが)。そうやって歴史は少しずつ書き換えられて前に進んでいくんですから、私の革命も前に進んでくれる事を願いながら戦い続けます。W杯でも日本がサッカーの伝統に風穴を開けて欲しいんですよね。大空翼くんより先にW杯優勝を達成して欲しいですね。野球は本当に世界一になりましたよ。ドカベン山田太郎はWBCで世界一になっていません。出場すらしていません。先に栗山英樹と大谷翔平が世界を獲りました。正確には、王貞治&松坂大輔、原辰徳&イチローも世界の頂点に君臨したのです。漫画の世界よりも現実のスケールの方が遥かにデカかった。サッカーだって必ず世界一になれると思いますよ。今夜は、私も日本を応援しようと思っています。それ以外の時間は、SMクラブ革命戦に全振りしましょう。
私はSMに救われた事がある(SM奇譚 創戯旅団 第385夜)
2026-09-28up
今回は前回語った話の補足。私が変態に進化したきっかけを前回は語りました。『風俗には救われて恩義を感じている』が副題にありましたね。風俗店に救われる気持ちなんて無いだろうが、大半の人の意見だと思います。性欲を満たしにお客様は風俗店を訪れます。SMクラブの場合は支配欲や服従欲もあるでしょうし、特殊な性癖を満たしたい場合も多いでしょう。キャストさんは金銭欲と呼ぶと語弊がありますが、お金が必要だから風俗をやるのが基本です。中には独占欲や承認欲求や性欲を満たしながらお金を稼ぐ生き方が心地良い女性もいます。その人その人によって、風俗との関わりには理由があります。私は風俗店でがむしゃらに働く事に、楽しさを感じました。それは存在を否定されない世界観が心地良かったのかも知れません。女性もお客様も、どこか心の傷を癒やしたり、心の空白を埋めるオアシス的な役割を持っていた側面も好きだったのかも知れません。心の温泉。精神を治癒する暖かさを私は感じていたのかも知れませんね。私は同じ様に『SMに救われた』と本心から思っています。実は、『SM奇譚
創戯旅団』コラムの中でも核になる大事なテーマだと私は考えているので、ここまで丁寧に語ろうとしているのです。風俗店(SMクラブを含む)の存在意義は性への拘りだけじゃないんですよね。私は『女性の懐の深さ』に、自分が助けられたと感じているからこそ、ここまで『SM奇譚
創戯旅団』コラムを書き続けているんですね。同じ様に人生に躓きを感じている人間が全世界に沢山居ると私は思っていますので、そんな人達が立ち直る為のバイブルになる書物を書きたかったんです。何度でも同じ理を様々な角度から考え直す事に意味があると考えているのです。人間なんて正解の無い深い闇を抱え続ける生き物でしょう?きっと最後まで答えは見つからないんだと思うんですよ。だから、『誰かが寄り添い並走する事で気持ちを柔らげてあげる書物があるといいな』なんて本気で思うんですよ。『SM奇譚
創戯旅団』が千一夜物語なのには理由があります。寝る前に『SM奇譚
創戯旅団』コラムに触れると気持ちが楽になって寝れる人が居てくれたら、私もこんな頭の悪い脳味噌の中身を晒した甲斐が少しはあります。私は救世主になれるとまでは思っていません。しかし、同じ苦悩を持つ人間の心の隙間を埋める事くらいなら出来ると考えています。『SMに救われた人間として、SMで人間を救いたい』そう思っているからこそ、どんな些細な問題にも全力で立ち向かっているんです。誰しもが日々の課題と向き合って生きていますよね。考えても考えても、いつも半分正解で半分間違ってます。空回りを解消させる事は難しいかも知れませんが、問題点と真摯に向かい続ける事に意味があるんだと思うんですよね。警察署は事件を解決しても次の事件と向き合わないといけませんし、消防署も病院もそうやって同じ事の繰り返しを続けます。平和が訪れる事はありません。人類の歴史から戦争は取り除けません。大きな枠組みで悩み続ける人もいれば、家庭内の人間関係や性関係で苦しみ続ける人もいます。どんな小さな出来事にも、大きな出来事にも、真剣に向きわなければ人は生きていけないんですよ。たかがSM。しかし、そのSMに救われた人間が後を立たないので、マルキ・ド・サドもザッヘル=マゾッホも人々の記憶から消える事が無かったんですよ。
SM奇譚
創戯旅団 第385夜 私はSMに救われた事がある
※2026年09月28日11時33分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月28日11時11分【NOTE無料投稿】
今回の見解に関しては、いつもと違って飛躍し過ぎてませんよ。寧ろ、地に足をつけて、丁寧に問題点を紐解いているつもりです。哲学や倫理に正解はありません。時代背景で真実は変わって行きます。性格が違うだけでも見える景色は違ってきます。生活環境の違いだけでも事実は大きく変わります。人それぞれに正解が変わってくるのが人生なので、自分の思いが世の中で正しいと思い込むのは危険です。例えばそれは、社会主義の中で生活している人と、民主主義で生活している人では正解が大きく違います。イスラム原理主義社会と民主主義社会は、今でも殺し合いをしていますが、だからと言って無垢な民間人が死んで良い理屈なんて存在して良い訳ではありません。しかし、その殺し合いを経由しないと、自国の利権さえ守れないのが人間です。サバンナでは動物が野蛮な殺し合いをしていますが、実はあまり人間も実態は変わりません。力による現状変更を続けるのが生物の定めでもあります。その考え方を変えたいのなら自分が武器を持って立ち上がるしか無い。結局は同じ穴の狢になる以外の選択肢を人間は与えられていないのです。もし大きく常識が覆る時が来るのなら、その時は無限の資源を人間が作り出せる様になり、人々が争う必要がないくらいの幸せの量が世界に拡がらなければ、理想が現実になる事は絶対にありません。神でさえ戦争を止めれないのに人間だけが戦争を止められる理屈なんか存在しません。私は『SMで救われる人間』が居るのなら社会のお役に立ちたいなんて、ちっぽけな思いで生きています。それでも、小さな戦いをしてるんですよ。絶対に無意味では無いのです。『私が救われているのだから、全世界の一人も救われていない理屈になる事は無い』からです。何も飛躍などしていないとはそういう事です。おそらくはSMクラブに関わっている人間の大半が無意識にこれをやっているんだと、私は本気で思っています。そこにあるのは、支配と服従ではありません。支配と服従の仮面を被った寄り添いだと理解しておきましょう。支配と服従的に思考停止を行わないと、精神が壊れそうになる時も人生にはあるんですよ。『解脱(げだつ)』とか『問題が片付かないので考えるのを止めてみた』なんて局面だって同じ原理ですよね。『気持ちが楽になって、モノの見方に変化が現れる』なんて環境をSMを通して作れるのなら大いにやるべきだと思います。しかし欲望任せに好き放題すると取り返しのつかない事故を招いてしまうのもSMです。BDSMはSMプレイの洗練された法律じゃないですか。それくらいに支配と服従ごっことは危険な行為なのです。しかし理解しようとしない人間が多いのも事実だと見ています。『救われる』どころか『救えない』状況になります。SMクラブにおいて、『サービス地雷』、『人間魚雷』不要論を私は唱えていますが、自分勝手な人間の根絶という側面においては正解だと思っています。思いやりとリスペクトをパートナーに持てない人間には、SMクラブでSMをやらせたくはありません。私なりの仲間を危険に晒させない自己防衛理論です。私がSMに救われていなければ、そんな想いに至ってないでしょうね。自分勝手な人間は、私に牙を剥いてくるんですよ。マジでクソですね。真っ向からガチンコ勝負になるんです。筋金入りの負けず嫌いである私は一歩も譲りません。その結末として、承認欲求お化けと化した自分勝手な女王様とご主人様が逃げ出したのが厚木エレガンスです。そうする事で『お店は平和になる』と考えて爆走を止めないのが私という人間です。『M側の人間がS側の役目を演じれば良いだけだ』と本気で思っているから暴走を止める気もありません。それを具現化出来れば、優しさを全面に押し出した思いやり溢れるSMクラブが誕生する計算が立ちますよね。理論上ではの話なので、理想郷を作り上げるには長い時間が必要なのでしょうけれどね。最近になって、私は頻繁に私のSMやSMクラブに対する思いを語る様になったじゃないですか。はっきりとフェーズが変わってきていると私は認識しています。次のフェーズはお店とキャストさんとお客様が相互理解を深めて行きながらシェイクハンドする事だと思っているんですね。こんな時に、noteは良いですね。相手の気持ちがこちらにきっちり伝わります。SMクラブを介して救える人を増やしたいと思っているからこそ、私だけでは何も出来ないと正直に申告しているのです。何度も失敗してきているので、私もいろいろ学びました。だからこそ、『SMとSMクラブと風俗と風営法』に叛く行為を私は出来ないのです。良い人間関係を構築する為に大切な事だと思います。邪な人間が潜り込んで来ない構造を考えないと苦労しますよ。遠回りしてしまうでしょう。第三期を完全に可視化すると決めたのは、生身の人間の目視によるチェーンブロックに比重を置いているからです。自分勝手な人間が紛れ込んで来ない様に皆んなで監視しましょう。何重にも人間の目で目視する事で、目に見えない悪事を炙り出して行きましょう。『SMで人を救いたい』という気持ちは、詭弁ではありませんので、厳重に自分勝手な人間の排除に取り組んでいます。私も自分勝手な女王様に嫌な思いをさせられてきましたから許せないんですよ。M側の人間を守らなければ、私の目指す『SMクラブが人を救う』世界線は作れません。だから、この先も矜持を忘れずに初志貫徹して戦い抜きます。ご理解、共感、共鳴頂けます方の応援があれば、私は戦えます。馬車馬の様に働き、特攻隊となって猪突猛進します。その先に、どんな答えが待っているのかを、皆さんと共に見たいと考えています。
まだまだ気を緩めている場合ではありません。勝負はこれからです。勝負事では無いのですが、負けず嫌いな性根が勝ち負けを欲しています。絶対に負けたく無いんです。挫折したく無いんです。それだけですよ。ブラジル代表やアルゼンチン代表やフランス代表に選ばれたサッカー選手は世界一になる事以外を考えてないですよね。私は負ける事さえ無ければ良い人なのでちょっと考え方は違うと思います。弱いチームをどうやって強豪に負けないチームに育てるかが私の仕事なので、ブラジル、アルゼンチン、フランスと戦わないといけない側のチームの指揮官です。最初から、夢なんか見てませんよ。但し、優勝チームを一番苦しめるチームを作りたいと思っています。一回だけでも優勝出来る試合巧者と呼ばれるチームを作りたいと思います。まずは最初はそこからじゃないですか。だから、負けないチームを作りたい。星勘定を冷静に出来るチームを作りたいと、いつも思っています。私が理論を重んじるのはその為です。きっちりと構造を理解した上で、ベストを尽くせば次の世代の『厚木エレガンス』はもっと強くなると信じているので、長い戦いを途中まででも引き受けたい人なのだと自分の事を分析しています。国家建設100年計画。私は私の役目を忠実にこなして次の世代にバトンを渡したいと思います。頂点へ登り詰める役目は、私より相応しい人が沢山いるでしょう。私は最初の一歩を踏み出す人になりたいと本気で願っています。これから先に『SMクラブに救われた』と思って下さる方が大勢出てくる組織作りをする事が私の使命です。『厚木エレガンス』の骨格として機能させる構造改革です。まず基本となる考え方を皆さんに浸透させる為に『横浜風俗大学』の作り込みから始めてみましょう。突拍子の無い事を言い始めてすいません。『風俗とは此れ、欲望を満たす場所に非ず。心と身体のバランスを正常に保つ場所である。』それを、ちゃんと実践出来れば、ただの気持ち良い事をする場所から、もう一段レベルの高い仕事と遊びに昇華するでしょう。この話を聞いても、まだ情弱理論を振りかざして反論してくる頭の悪そうな馬鹿が湧いてくる事は想像出来ています。高い志の元に、雑魚は全員薙ぎ倒して先に進みましょう。好戦的に挑発する発言ですが、敵は必ず味方からも現れます。目視によるチェーンブロックが必要だと口を酸っぱく言い続けるのはその為です。SMクラブは内部から根腐りする危険な組織である事を体験したら考え方は180°変わるでしょう。私は異常なくらいにトラブルに巻き込まれたので、石橋を叩いてから橋の真ん中を渡る慎重な人間になりました。イケイケ感は完全に削がれましたが、その代わりにベテランらしいいやらしい戦術を使う戦い方を身につける事が出来たと思っています。
自分の性癖が普通では無いと自覚した瞬間(SM奇譚 創戯旅団 第384夜)
2026-09-27up
性癖がおかしくなった瞬間なんて普通は分からないと思うんですよ。性犯罪に巻き込まれた場合は話は別ですよ。突然、自分の身に不測の事態が起きてしまうので、内面が激変してしまいます。或いは、自国が突然戦争に巻き込まれて最愛の人間が戦地に送り込まれたり、家族が爆撃で死んだりした場合に性の価値観は外的要因で変わってしまいます。私達の界隈でも、様々な分岐が訪れます。もしSMプレイが風営法で禁止されてしまうと仮定しましょう。お店に黙って過激なSMを始める人が続出するでしょうね。内緒でプレイする事に興奮を覚えて性癖の嗜好が変わってしまいそうです。私が本番をSMクラブでは致してならないと言い続けているのは風営法にアジャストした発言です。私は何も『人間は、セックスしてはならない』とは一言も言ってません。子供を作る為に誰だってセックスします。しかし、風営法で本番は禁止されているのです。子作りと風営法は関係無いですからね。私はSMクラブの運営者です。SMクラブは風営法で管理されているので、私は『セックスをしてはいけません』と禁止事項を述べているだけです。誰だって気持ち良い事や興奮する事に、自然と魅了される事くらい、私にだって流石に分かります。それでも、風俗ではセックスを禁止しないといけないのには、根拠がある事を理解しないといけません。『犯罪抑止』の観点でも重要です。セックスを認めてしまうと『管理売春』の取り締まりを今以上に強化しないといけなくなります。セックスを禁止してしまえば、『管理売春』の摘発は簡単ですが、セックスを認めてしまうと管理売春の実態が不透明になってしまいます。法律で禁止しても違反と違反黙認の温床になってしまうのが風俗業界です。そう考えると本番禁止は妥当な法律である事が証明されます。それでも『ばれなきゃ大丈夫』と確信犯的にキャストさんとお客様はしでかしますからね。何か問題が起きてから後悔しても手遅れです。最悪の逆宝くじに当たってしまった悲惨なケースは、この10年の中でも何度も起きているのです。相模原在住のシングルマザーが立川のラブホテルで無惨な殺され方をしたのは記憶に新しいですよね。あれもデリヘルで起きた事件だったと記憶しているのですが、キャストさんのあくどい中抜きに対する逆恨みから起きた悲劇だったのです。冒頭から派手に脱線してしまいましたが、今回は特殊性癖を深掘って行きましょう。
SM奇譚
創戯旅団 第384夜 自分の性癖が普通では無いと自覚した瞬間
※2026年09月27日14時11分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月27日13時44分【NOTE無料投稿】
SMクラブは性癖がアブノーマルな人が集う場です。性癖が偏りすぎているとか壊れているとか、それくらいの突き抜け方をしています。その原因は人それぞれなので、なんでそうなったかの原因は同じである事は無いですね。運営者の私自身も、極端な性癖の偏りを持っていると思います。他人の性癖を分析するのも些か失礼なので、私の話をしましょう。私がSMを知ったのは何時だったかを探ってみます。おそらく一人暮らしを始めてレンタルビデオ屋でAVを借りた時が初めてだったでしょう。しかし、あれはSMと呼べるものだったのか?扇風機の芯の部分に大きいバイブを装着して、回っている扇風機にバックから女性がお尻を近づけてバイブを挿入する鬼畜な内容でした。女性は絶叫していましたが、気持ち良がっている様には見えませんでした。『いや〜!』と絶叫していましたが、痛くて叫んでいたのだろうと思われます。あれで気持ちよかったら、その女性は怪物ですよね。しかし、スタイルが良くて美顔だったんです。『なんて事をするんだ』と思うと同時に興奮していました。これが、私の特殊性癖に目覚める最初のきっかけだったと思います。あれは衝撃的すぎた。その後に、雑誌のグラビアで緊縛写真を見かけると大概が美乳の美女が縛られています。SMのAVも見ました。イヤらしいなとアブノーマルな世界への興味と憧れはありました。しかし、私の性生活はノーマルなままでした。遅漏だったので、少しずつセックスは濃厚になりましたが、彼女が居たのでまだ風俗店とは無縁の人生を歩んでいました。専門学校に通っている時に、ホストをやっていた同じクラスに居た1個年上の同級生に連れられてソープランドに行ったのが初めての風俗だったのですが、その時は自分の母親と同じくらいの中肉中背のおばさんが出てきたので、仲間の奢りとは言え驚き萎えまくって虚な目をしていたのを薄らながらも覚えています。次に風俗へ言ったのは、2年後くらいに携帯電話の営業会社で働いていた時です。複数台の携帯電話の契約をピンサロ店のスタッフさんにした貰った時に、『お金はいらないから遊んでいけよ!』と1SETだけ遊ばせて貰った時でしょう。まだ、自分から風俗に行こうなんてした事はありませんでしたから、私に取ってはその時の経験も衝撃的でした。今思えば、新人さんの研修がてら私に新人さんをあてがったのでしょう。遊び慣れていない感じで、変な事をしないと判断したんでしょうね。痩せてるエロい感じの若い娘が一生懸命にサービスをしてくれたのが、私の風俗に対する恐怖の意識と偏見を取り除きました。その後は風俗に行く様になりましたし、そこから僅か1年半後には、私がピンサロで働いていたのですから、あの時のピンサロでの経験は、私の人生を変えてしまったのでしょう。ちなみにその時は致していません。本サロではありませんでしたよ。その当時の私はどノーマルです。SMの知識はもうありましたし、憧れもありました。それでも私はただの格好付けですから、紳士を気取ってましたね。今なら当時の私を説教してやりたい気分です。『お前がその娘を開発するんだよ!』と、叱ってやりたい。私が30歳過ぎてからの話。悪友のS君がSMチャットにハマっていた時期があって、楽しそうにその話をするんですよ。これが引き金を引きます。私は、こっそりと千葉県のSMクラブに行ってみたんです。そのSMクラブはソフトなSMクラブで女性のルックスのクオリティが高かったのを覚えています。その経験が私を変態にしてしまう決定打になりましたね。30代にSMクラブへ10回以上通ったと思います。私は家庭を持たなかったので、風俗へ行ったところで負い目を誰かに感じる事もありません。しかも、父の会社が倒産するであろう事を視野に入れて高級風俗の勉強がてらにSMクラブへ通いました。この時は、私がSMクラブで働く事になるとは露にも思ってません。偶然、SMクラブへ通っただけです。そこでSMのスキルを身につけました。私は女王様を呼んだ事は一度も無く、M女さんと遊び続けました。精神的にはマゾヒストの気が強いですが、性癖的にはサディストですからね。そして、40歳になり偶然にもSMクラブで働き始めたのです。SMやSMクラブが何たるかに詳しくなったのはその後です。私は勉強熱心なので、きっちり構造理解出来るまで知ろうとします。納得が行かない事は徹底的に調べ上げます。こうやってSMクラブ怪獣は仕上がって行くのです。私が変態になった要因としてSMクラブが起点となっていますが、変態へ進化した本当の理由は全く別のところにあると思っています。
私は精神的な闇を幼少時代から抱えていたと思っています。両親の子育てに対する未熟さが起因となった私の発達障害が原因です。壊れていた夫婦関係を見ながら育ったのも悪影響へと繋がりました。両親がダブル不倫で絶交状態の家庭に育っているので夫婦が協力して家庭を作り上げるノウハウも意味も知らないままに育ち、人を愛することより人への憎悪をむき出しにしてしまう自分勝手な両親の生きるスタンスを軽蔑していました。私は内向的になり自分の殻に閉じこもりながら自我を辛うじて守る少年時代を送ってしまいました。途中からはメキメキと体力を付けた事により抑えていた怒りが爆発して家庭内暴力へ発展しました。それが抑圧の解放になれば私は極度のサディストへと傾いたのでしょう。ところが私は真逆に負い目を感じてしまったのです。それ以降は後悔と共に女性を殴れなくなりました。しかし、女性に対して本音を語れない人間にもなって行きます。そんな私を包み込んで気持ちを解放していったのが風俗の仕事でした。皆んなが様々な傷を負って風俗店に辿り着いていると知った時に、私は気持ちが楽になったのを覚えています。これは風俗で遊んでいるだけでは見えなかった事だと思います。この風俗に対する恩義が、私を風俗の仕事へのめり込ませました。40歳で風俗業界に出戻った事で、SMやSMクラブに対する経験と知識が積み上がり、私は予期せぬ形でSMクラブ怪獣へと育って行く事になります。師匠の兄さんへの恩義、師匠への恩義の私の気持ちが二人との死別によって、思いがそこから先に進めなくなっていたのも大きな理由となって行きます。私の忠誠心は筋金入りなので、結果として生きている周囲の人間よりも師匠と師匠の兄さんへの恩義の方が上回っていたかも知れませんね。周囲の人間は師匠の功績を奪った人間にしか思えていません。あれだけ師匠の生前に足を引っ張りまくっていた人間が正当な後継者な訳がない。私はエレガンスの後継者であって、箱ヘルに思い入れは一切ありません。しかし、『あぁ、こんな形に落ち着いたか』と箱ヘルの現状は苦々しく見ています。それでも回っているならどうでも良いかと、無関係を貫いているだけです。私が風俗をマネタイズの道具として見ていたなら話は別だったでしょうね。特需だった箱ヘルに執着したと思われます。私は師匠の最後のプロジェクトとなった『厚木エレガンス』の存続に拘り続けました。さらに紆余曲折を経て、今では都内の老舗有名店『マニアック六本木』と『アイスタイル六本木』を預かる身となりました。気がついたらいつの間にか『厚木エレガンス』本体(本隊・・・笑)を15年維持して、SMクラブ実録コラムを情報資産として作り込む仕事まで熟すSMクラブ怪獣へと成長したのです。しっかり弱点も書き記しておきましょう。『マネタイズはど下手クソです』しかし、マネタイズに興味がなかったからSMクラブの存続へ気持ちが傾いていたのですから、なるようになっていたんでしょう。私のSMとSMクラブへの拘りが育まれて、そこに私の性癖と私が抱えていた病までもがシンクロして完全体の変態怪獣へ進化しました。その過程は、複雑な事情による異常な境遇だったと捉えています。ごく普通な一般的な性の解放とは、かなり意味合いが違います。お分かり頂けましたでしょうか?SMクラブへ辿りつくキャストさんやお客様が持ち合わせている傷を軽んじていないんですよ。だから、S側がM側を都合よく利用しようとすると、私は敵意を剥き出しにして噛み付くんですよ。ちゃんと私なりの背景と根拠が、そこにあるんでしょうね。ここまでSMやSMクラブへと傾斜していった私の人生の構造を理解してしまうと、もう途中で立ち止まってはいけないんだと考える様になります。私はこのお店の未来を見届けなければいけない。私に創造出来るものは自分で創って、次の世代に引き継がねばならない。私が先人から学んだ事。私自身が独学で身に付けた事。私と関係のない歴史を積み上げてきた老舗の人気SMクラブが二店舗も私の人生と交錯した事。キャストさんや周囲の関係者と知り合った事。全てが私の宝なんだと思っています。これからも未来の友人達は増え続けるのだろうと思います。私は特殊性癖店の長になってしまった事を恥じていませんし、今では誇りに思ってます。それは私の性癖が普通では無かったところが起点となっているのだと振り返っています。私は性格も性癖も人生までも歪んでしまったのです。私の見解が、世間一般の常識とは大きくズレているのも分かっています。しかし、ズレていたから今がある。その文脈を大切にしないと罰が当たります。私がおかしかったから、私にしか出来ない命題が誕生した。私は、人生をかけて命題に向き合うのでしょう。言い過ぎだとは、全く思っていません。
暗黙知-Tacit Knowledge-(SM奇譚 創戯旅団 第383夜)
2026-09-26up
私がよく使う表現には、肌感や経験則なんて言葉がある。同様に職人芸なんて言葉も使用する。私の場合は、馬鹿の一つ覚えに属する表現だ。実際には、何の根拠もない動きをとる場合もある。無難にやり過ごす時には、あれが最適解だったなんて会心の一撃を無意識に繰り出している事も多い。特に、危機回避能力に関しては冴えを見せる時がある。相手の思惑をいち早く察知して、最悪のケースを想定して動いている場合が多々あるからだ。大抵の場合は、悪い予感は9割当たる。マーフィーの法則だ。何度も痛い思いをしているので、体が脳より先に危険を察知する。これがSMクラブの世界、いや風俗業界では信じられないほど効果を発揮する。相手の思惑が暗黒啓蒙に犯されているので、想定外の事が頻繁に起こってしまうのだが、暗黒啓蒙は思っている以上に単純でもある。要は、そちらの界隈も馬鹿の一つ覚えなのだ。
SM奇譚
創戯旅団 第383夜 暗黙知-Tacit Knowledge-
※2026年09月26日09時44分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月26日09時11分【NOTE無料投稿】
暗黙知-Tacit
Knowledge-という言葉がある。
言語化や文章化が難しく、個人の経験や勘、直感に基づいている知識や知性の事を言い表す言葉だ。対義語から考えるとより分かりやすい。
形式知(マニュアルや数式などで言語化できる知識)が対義語に値する。私達の世界は感情労働の世界であり、SMクラブの場合はそこに関係値と特殊性癖と文化性、さらには価値観までが加わる。複雑な奥行きを織りなしている。そうなると、リスク回避が難しくなる。危険と隣り合わせの世界なのに、何が危険なのかが見えにくい世界なのだ。結果として、リスクを検証している時間がない新規接客の場合は、暗黙知(肌感、経験則、直感)で全てを察する能力が求められる。暗黙知を使う為のテストクロージングも存在する。言葉を投げかけて反応を見たり、相手の行動から思考を読み解く事前予測を必要とする。そこにマニュアルは存在しない。十人十色に相手の反応には奥行きがある。ケース・バイ・ケースで即座に判断しなければ、最適解の行動を逃す事になる。SMは馬鹿には不可能と言われる所以でもある。ところがこの複雑な取り決めを単一化してしまう魔法の暗黒啓蒙も存在する。それが射幸心だ。実はここに振り切っているSMクラブは非常に多い。それは否定する事でも無い。実は、キャストさんもお客様も、場合によっては経営者までもが単一化(一元論)を望んでいるからだ。分かりやすいので、最適解と言える。犯罪やリスクと並走する危険思想なのだが、キャストさんとお客様を逃さない為には、こちら寄りの営業戦略を取る方が効率的でもある。風俗業界は矛盾しているのだ。間違っているのに最適解。言葉までもが矛盾に満ちているのにマネタイズ出来てしまうのは、射幸心と暗黒啓蒙の相性が良いからだ。これが、風俗が闇深いロジック。ロジックなのだが、見たく無い、考えたく無い人が9割だろう。俗に言うところの、痛い腹を探られる事になるからだ。『本番の無い清廉潔白な営業をしています』風俗に携わる人間の9割がそう言い放つ。嘘おっしゃいな。全てダブルスタンダードである事は時間が経てば白日の元に晒される。赤信号みんなで渡れば怖くない。開き直る人間ばかりだ。中には、それが暗黙の了解だと言い放つ人間まで出てくる始末だ。頭の悪い発言なのだが、本人はその方が利口だと本気で思い込んでいるから救いようも無い。これこそが、風俗最大の闇だ。それは何故か。簡単な事だ。警察が介入したところで、いつの間にか暗黒啓蒙が再び広がり元の木阿弥になるからに相違無い。その中で、『絶対にそれはおかしいだろ』と私は声をあげてしまったのだから、私はあたおかなのだろう。暗黙の了解なんて言葉は、私の頭の中には存在しなかった。それどころか暗黙知による悪寒がすると言い放ち、業界構造に異論を唱え始めたのだ。そこに解決策が無ければ、私は絵空事を妄想している人で終わってしまう。これから頭のおかしい事を言うと思うが、心して聞いて欲しい。実はその先も見えている。未来から来たなんて都市伝説チックな語りを始めようとしている訳では無い。実はこれが足りてないから修正すら出来ないのではないかと突破口が見えてしまっている。構造建築には聡明な頭脳を必要とする。だから、誰も私がその役をやりましょうとは言い出さなかったのだろう。深く考えればマネタイズだって可能だ。しかし、それは風俗的なマネタイズとは大きく質が異なる。そこが難しかった。だから、これは私にしか出来ない事だと思いますよと私は言う。それは、才能があるのは私だけですよと言っているのではない。金の亡者になった途端に最適解を見失い、誰もこの答えに辿り着けなかっただけの話なのだろうと理解出来ている。私は馬鹿の一つ覚えに、正しい道を模索して、最適解への道筋を偶然にも発見してしまっただけなのだろうと思う。猪突猛進も、時には役に立つではないか。
本番をやってはいけない。お店に内緒で中抜きをしない。裏引きをしてはならない。待機でいじめをするのはご法度だ。客宅でお店や仲間の批判をしない。お店を綺麗に使う。当欠、無欠、遅刻はしない。目上の人間には敬語で話す。常識ある人間は失敗しない。ところが風俗嬢はどうだ?全て装着品だ。当人はやってないとでも言い放つのだろう。白々しい。失笑の極みだ。最初から言っているだろう。そうしなきゃ稼げる訳ないと本気で思っているのは捲れている。私はやらないが、やって集客してくれる人間は必要だと思っている場合もある。必要悪だと本気で信じている。それは違う。浄化する仕組みが無い事に問題がある事を直視出来ていない。不可能だと勝手に思い込んでいる。暗黙の了解だと、勝手に歪曲した思い込みで理論武装を完結させている。考えなければいけないのは暗黒啓蒙を消し去る為の教育だ。口で言うだけでは何も変わらない。誰もが人の忠告を無視してやらかす気満々だ。私はだから『横浜風俗大学』を作り出したのだが、実はまだ何も実態を晒してはいない。闇問題の解決策となる最大の武器はいまだに未公表だ。未公表なまませっせと外堀を埋めていたのだ。この後、内堀も埋めて本丸を攻め落とすフェーズに入るのだが、なんでそんな面倒臭い手法を用いているかも一応説明しておこう。風俗人はモノマネが大好きだ。最初から手の内を見せてしまったら、お金をかけてこちらを上回ろうとするに決まっているではないか。それでは、あまりにも無策すぎる。そこで幾重にもミスリードする罠を張っておいたのだ。誰も私の考えている核心を掴めないように煙幕を張り巡らせた。その後に、外堀と内堀を埋め始めたのだ。読んでいる人までもが、なんのこっちゃと疑問符しか持たない事も分かっている。それでも何も見せない方が賢明だろう。ぶっつけ本番で完成形は披露する事になる。一夜城のように突然note内に聳え立つイメージで建設を進めている。講義の価格を100円〜500円に設定したのはその為だ。現段階では、それくらいの値段が妥当だろうと考えている。実際には、100円で購入して頂いた教本にはまだ続きがある。それをまだ公開していないだけだ。講義を発表するペースを遅らせているのも意図的だ。ここからが本番だ。肝心な事を答え合わせしておこう。実は『SM奇譚
創戯旅団』コラム本編が教本兼論文だ。千一夜全てを繋ぎ合わせると小説にもなる。その小説は、ザッヘル=マゾッホとマルキ・ド・サド同様に真剣にSMの世界観を表現する事に全振りしている。講義を購入する前から、既に講義は始まっていたのだ。だから、コンセプトは最初から出来上がっていた。それは、私が痛い思いをした分だけ積み上げて来た経験値の結晶だ。その経験値の結晶を読める無料記事が8割近いのだから、授業は無料で始まっていた。
物はついでだ。折角だから答え合わせをいくつかしておこう。実はこのアカウントには無駄が沢山あるように見えているが、全てが無駄無くコンセプトに組み込まれている。例えばそれは、『パチスロ連チャン機烈伝』。これはパチスロを題材にしているように見せているがそうではない。射幸心との向き合い方を暗に論じている。風俗もパチスロも風営法で管理されている。射幸心の抑制が風営法の存在理由だ。共通項なのだ。さらに、『世界禁書図書館』では、最初にザッヘル=マゾッホとマルキ・ド・サドをテーマにした。私が描いているのは、コラムのように見せているアカウント全体を使った長編小説だ。そこに気づけていた人は居ただろうか?いや居るだろう。私より頭の良い人間は五万といるのだ。そこまで侮っては居ない。時代を超えて獄中文学と小説具現化文学と並走する気狂いじみた試みだ。それだけでは無い。『世界禁書図書館』では禁断の名作を複数読み解いていく。その全てが『横浜風俗大学』の教科書になる。答え合わせはそれだけでは無い。まだカミングアウトしよう。私のコラムの主戦場をnoteに移動したのには理由がある。まずは私の文章の発表の場としては、本来はブログが最適解とも言える。ところはブログサイトは想像以上に手間がかかる。しかも、過去記事が非常に読みづらい。ここに情報資産としての限界を感じていた。更新する手間もかかる。時間効率が悪い。では、noteはどうだ?noteはSNSとブログの中間に位置するコンテンツだ。SNS寄りの設計がなされているので、スキを押すのも手間がかからない。長く活動をすると何年分もの時間をブログコンテンツより削減出来る。その機能性を重視した。そこが一つ。それだけでは無い。noteは日本の企業が開発したコンテンツなので日本語との相性が良い。そこも計算している。ここは日本だから、何をあたり前の事を言い始めた?なんて思わない事だ。noteは世界進出を視野に入れている。もう既に一部の記事は自動で英語に変換されてテスト的に公開中だ。ここで先程言った日本の企業である事が重みを増す。日本語は形容詞が豊富で表現に奥行きが存在する。日本人が日本語を他言語に翻訳するのと、英語圏の国の企業が日本語に内容を翻訳するのでは伝わり方が違う。そこに着眼点を置いている。自動翻訳ならGoogleでも可能だが、海外の翻訳ツールを二次利用で使用するのは手間がかかる。それならばnoteに自動翻訳して貰うのが最適解だ。目標とするのは欧米だ。英語圏の国を最初からターゲットにして、このコンテンツは設計してある。だから日本製のAIに日本人のテイストを殺さずに翻訳させる必要性があった。そうしないと、肝腎要の侘び寂びが伝わらない。細かな情景描写無くして評価対象にはならないと正確に位置付けての行動だった。文章を世界中の人に課金させる設計を裏ではきっちり見定めて作り込んだ。サブスクを日本だけで完了させてしまうのは非効率だ。だからエロでありSMであり地下文化である事が重要だった。海外の人が日本に興味を持つとしたら、どんなテーマが最適解かを考えてみた。日本人独自の見解を世界中の人が知りたい題材をチョイスしなければ興味を持たれることは無い。エロに振り切って研究に取り組む価値は絶対あると考えて、二年前からコツコツと文章を書いていたのだ。風俗人は文章を書くのが苦手だ。さらに二年のアドバンテージまで既にある。書いた文字数は軽く二五〇万文字を超えている。ここまで持って行ってしまえば、風俗人には再現は不可能だろう。これが外堀を埋めると表現した所以だ。他にもまだある。『創戯旅団
数多の記憶』なる小説を発表しているが、実際はコラム版『SM奇譚
創戯旅団』の内容をトレースして書き直している。別に小説にする必要なんか無いだろうとツッコミが入りそうなのも重々承知している。これも、その先に続きを考えているからわざとやっている。まだ全貌は公表しない。伏線回収の時が来たら話すとしよう。私の暗黙知からくる成功への秘訣だと思っているが、大きくポイントをズラす危険性はある。微調整は随時必要だろう。先の長い戦いになりそうだ。
それを作れば彼は来る(SM奇譚 創戯旅団 第382夜)
2026-09-25up
『それを作れば彼は来る』映画の名ゼリフだ。ネットで調べると出てくるので、知らない方はググって見て欲しい。私もその映画の様に、謎解きゲームに我が人生を賭けて、読み解こうとしている。正解に辿り着けずに苦戦しているのだから、思いの他に特殊性癖を理解するのは難しいとつくづく思わされている。2年間、私のコラムに付き合って下さっている方は、既にご存知だと思う。これだけ長期間にわたり、私は性癖と真剣に向き合っているのだ。私はサドとマゾッホの末裔達をお店へ呼び込もうとしている。私はどこにどのタイミングでどんな形の野球場(SMクラブ)を作れば、外野の草むらからサドとマゾッホが現れて会話をしながらキャッチボールが出来るのだろうか?もちろん比喩なのだが、人生とはその人間にしか作れない作品だ。そして、まさか自分の人生がSMクラブと交錯するなんて、若い頃の私に想像出来ただろうか?子供の頃に、芸能人になりたいとかサッカー選手になりたいとか大リーガーになりたいとかYouTuberになりたいとか思い描く事はあっても、まさか自分がSMクラブに関わっている事を思い描く子供などいない。ほんの些細なきっかけから、それは現れる。ほんの偶然でしかない。偶然自分で見つけてしまう場合もあれば、偶然見つけられてしまった場合もある。何の話?全部、実話しか語ってない。まさかSMクラブにnoteでフォローされてしまい、SMクラブに関する記事を読んでしまった事で、SMクラブに関する知識を持ってしまうなんて、大人になってからでも想像出来ないであろう。noteというSNSも大概面白い。『それを開けば彼は来る』私も外野の草むらから登場するキャラクターでしかないのかも知れない。思えば長い道のりを歩いて来た。皆さんが垣間見る私の記憶は、果たして真実なのか、蜃気楼なのか、私としては本当の事しか話していないのだが、私が頭脳明瞭かは全く別問題だ。私の書き記す文章に、果たしてどれくらいの価値があるかは読んで下さった皆さんにしか分からない。『noteを開けば私は来る』穏やかな笑顔で、皆さんとキャッチボールをする日が、いずれ訪れるだろうと感じている。
SM奇譚
創戯旅団 第382夜 それを作れば彼は来る
※2026年09月25日20時44分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月25日20時11分【NOTE無料投稿】
私の人生のクライマックスも道の遥か彼方まで連なる仲間達の車が見えるラストシーンであって欲しいものだ。野球漫画家の水島新司は自分の大好きだった南海ホークスに自分の描いたのんべえスラッガー影浦安武(あぶさん)を入団させて活躍させた。その漫画では閑古鳥が鳴く二軍の中百舌鳥球場が描かれていたものだが、長期連載となったあぶさんは後半はソフトバンクホークスで活躍した。最後には息子もプロ野球選手になるまで現役を続けた。あの物悲しさ漂う南海ホークスに在籍していた強打者が、いつの間にか最強チームのホームランバッターになっている後期を、作者の水島新司でさえ予測していなかっただろう。水島新司は奥さんも人気漫画家だ。しかし息子はたけし軍団に居た。息子も漫画家であって欲しかった。そして山田太郎が大リーグでホームラン王を取る姿を描いて欲しかった。里中も岩鬼も殿馬も微笑も大リーガーになって欲しかった。そしてWBCで岩田鉄五郎監督とともに世界一に輝いて欲しかった。そんな漫画を読んでみたかった。今回は私の大好きな映画や漫画をSMクラブと融合したり勝手な続編を空想するところから始まったが、人の作り出す世界は何であれ他人の想いが共鳴し少しずつ形を変えていく。人間の想いの交錯が化学反応を引き起こすのだから、SMクラブもサドもマゾッホも私の世界観では、既に私と融合してしまい取り除く事の出来ない事象となった。故に私が思い描く野球場の草むらからは大谷翔平も山田太郎も登場しない。私が見つめている外野の草むらから出てくるのはサドとマゾッホだろうと勝手な想像をしているが、或いはSMに目覚めてしまったアダムとイブが私を天に召すラストシーンなのかも知れない。出来る事ならば、まだ35年はこんなどうでも良い与太話を書き殴りながら生きていたいものである。それにしても、理想のSMクラブを作り上げる私の野望は、想像以上に四苦八苦している。相変わらず、私は絶叫しながらドタバタ劇を繰り広げている始末だ。彷徨い歩きながら地雷を踏んではちゅど〜んと吹っ飛んでいるのだから、悲劇も一周回って喜劇化している。私の人生っぽいなとつくづく思う。格好良さなど微塵もない泥に塗れた人生なのだが、それなりに自由奔放に生きているから楽しんではいる。頭の悪い人生だと自覚しているが、頭が悪いからと言って、誰かを楽しませられないとは限らないではないか。運良くか運悪くかは私には分からないが、私の人生はSMクラブと交錯する事によって大きく変わった。これも人の運命なのだろう。運命に逆らってしまうと凋落の未来しか見えないので、私は運命には逆らわないようにしている。SMクラブと人生を並走させる事だけが、私に生きる意味を与えている気さえ今では感じている。そうなってしまうと私の行き先はサドとマゾッホの生きた世界観と交錯している事になる。その上に頭の悪そうなエロい発想を積み上げるのが私に与えられた役目だ。今では七転び八起きしながらエロい発想ばかりしている。まあそれでもお客様に喜んで貰いたいという気持ちを持っていれば、いつかなんとかなると信じている。お金持ちになりたいなんて不純な動機を持ってしまうと、私には転落の未来しかなくなるだろう。もっとも転落した現在地から見る下の景色など無い。見上げる空しか残っていないのもまた事実だ。こうやって気がつくと馬鹿な事しか言ってないのだが、そろそろ真面目なSMクラブ話に戻るとしよう。私は落ちこぼれたSMクラブを運営しているのだが、軌道に乗っているSMクラブを『待って〜』と追いかける事はしない。ロッククライマーの様に断崖絶壁を登ろうする奇人変人だ。私のnoteは登山日記。何の前準備もせずにエベレストに挑んでいるは言いすぎ。何の前準備もせずに筑波山を登る登山日記だ。簡単に登れそうだ(笑)もちろん目指すは女体山。用意するのはガマの油では無く、ローションとオナホールだ。その登山ルートも天上TENGA唯我独尊だ。こんな事ばっかり言ってるからどあほぅな発想しか思い浮かんでこないのだ。『頭使わずにおたまじゃくし使って何が悪い』それしか出来ないんだからしょうがない!エロい発想が枯れている時はこうやってクダを巻いてるだけなのだが、エロは悪徳か美学かを暇なので考えてみた。表立って公に語るものでは無いと考えている人間ばかりだからいつの時代もエロは悪徳扱いだ。アダムとイブが致さなければ人類さえ誕生していないのに、何言っちゃってるんだかとも思うのだが、何故こうも人はかまととぶるのだろう。太古の昔の人間までもが服を着ている。他の動物は服を着ないので、やはり人間だけは他の星から来た生物ではないだろうか?服だけではない。SM遊戯では道具まで使い始めた。そうやって興奮している。SMは致さないで楽しむからSMだ!なんて言ってる人が居たが、なにかとなにかが混同している頭の悪そうな論点ずらしだ。『風営法があるからSMクラブでは致せない!』が模範解答だ。しかし法律は守ろう。青信号を守って、横断歩道の上を歩こうと言っている。横断歩道のない場所を車が通る直前に渡るとスリルがあって興奮するよ!とは言っていない。そんな事を考えている人間ははねられてしまえと単純に思う。リスクを取った自分が悪いのだ。ではエロは美徳か?これまた微妙なところだ。エロは媚薬か?なら正解とでも言えるのだが、エロが美として許されるのは絵画や彫刻だけだ。モデルになってくれと女性を裸にして欲情して致してしまった男のどこに美徳がある?どちらかというとゲスの極みだ。ベッキーと致したのもゲスの極みだ。行為はゲスの極みだったけがネーミングセンスは芸術だった。そのアンバランスさがセンテンススプリングだった。いやナンセンスだった。エロの最狂進化系がSMだ。そうなると悪徳や美徳の分岐で語られることも無い。悪徳一択になる。それが世の中のSMクラブに向ける冷ややかな目線だ。これは事実以外の何者でも無い。同じ風俗業界の人間までマウントを取ってこようとする。それはその人間がくだらないだけなのかも知れない。別に政治家だって芸能人だってSMクラブを利用している。それのどこが悪いと利用した本人でさえ思っている事だろう。『SMクラブを見下してマウントを取ろうとする行為はクズでカスでゲスな行為だと認識しろボケ!』何も恥じる事はない。むしろ踏み込みたい願望があるのに踏み込む勇気を持てなかった人間を笑えばいい。私は笑わずに優しく手を差し伸べる。人間が出来ていると装いたい偽善者だからだ。要するに、ただの格好つけってやつ。それでも親切である事に嘘はない。こうやって、SMクラブ普及活動に精を出しているのだから、私はSMクラブにいる事を何も恥じていない。恥じるどころか、今ではこうやって私の境遇をSMクラブ運営者として隠さずに全公開している。そこまで振り切ってしまうと、もう戻る道は用意されていない。何を延々と語っているの?となるのだが、最初から最後まで、『それを作れば彼は来る』の話しかしていない。解釈は人それぞれだろう。私はあの映画を見て『腹を括れば違う景色が見える』と解釈して、自然と涙が出たのだ。誰の人生にも劇的なドラマがあり、それが故に人生は翻弄され紆余曲折を辿る事になる。私と皆さんがSMクラブを通じて交錯した事にも少しだろうが意味は必ずある。何を感じて何を解釈するかは自由だが、SMやSMクラブを見下す事だけはどうか止めて欲しい。それは器量の狭い人間のやる事だ。向こうから近づいてきて、そんな行動に出ようとする器の小さい人間だらけだったので言っているのだ。そういう時には私は『こいつは頭が悪いんだな!』と思う様にしていた。悩むのは無意味だ。絡んでくる行為は器の小さな人間のやり口でしかない。こちらも小馬鹿にしながら無視をすれば良いだけだ。時間の無駄になるので全スルーで良い。共鳴する人間同士でシェイクハンドすれば良いのだと考えている。この想いは揺るがない。他の人間の考えを否定する為に近づいてくる行為は、クズとカスとゲスがやる行為だと定義する事がSMクラブでは大切だと思う。BDSMとはそういう物だ。自分が持っている世界観を理解しようとしてくれる、優しいかけがえのないパートナーを貴方が探し当てられる事を、私も本気で願っている。自分勝手な人間は私達のコミュニティーに必要としない。自分よがりなナルシストな人間に支配権を委ねると幸せな結末を迎える事は絶対にないだろう。性格が悪い人間は断じて拒否で構わないと思われる。私はマジヒストなので、特にそう感じている。しかし、不満をぶつくさと言い始める人間には噛みつき返す。マゾヒストなのに攻撃されるとサディストに豹変する少し変わった人間だ。私もまたSとMを併せ持つ人間である証拠だろう。サディストとマゾヒストは対極には位置しない。共存もするし、単体で機能するものであり、それは性癖に関しても同じ事だ。達観したモノの見方を養いながら優しくパートナーを包み込む気持ちを持てれば、SMは上手く噛み合う気がしてならない。そんな経験を何度もすると、SMは支配と服従では無かったのだと理解出来る。それを射幸心に全振りして過激な暗黒啓蒙に走る人間が出てくるのも否定しない。否定しないが肯定出来るかは別の問題だ。相手を理解した上で、袂を分かったり距離を置く事も大切だ。無尽蔵に相手に服従してしまうのは思考停止以外のなにものでも無い。不幸を招き入れてしまうので、判断力を養う事が重要だろう。今回は私の価値観を、なんとなく書き殴ってみた。
『それを作れば彼は来る』というセリフは、人の価値観の多様性を比喩している。
本厚木変態オリンピック(SM奇譚 創戯旅団 第381夜)
2026-09-24up
東京オリンピック開催の時期へ向けてイベントを考えてみようと思い立ったのは、リオオリンピックの2年前だったろうか?東京オリンピックが開催される時期にだけ割引を考えるのでは芸が無さ過ぎる。考え抜いた末に私はとある結論を導き出した。『業界初のRPG型コースと東京五輪を融合してみるのはどうだろう?』実はこの発想の応用で第三期厚木エレガンスの『Ballondoll
Group(ゴーストショップ戦略)』、『Ballondoll Park構想(風俗テーマパーク構想)』、『Ballondoll
Award(賞レース設立)』、『SWC、XNC、最強位決定戦(風俗スポーツ化構想)』、『横浜風俗大学(風俗教育カリキュラム構築)』が誕生したと言える。全てがが妄想を構想に昇華させて具現化したプロジェクトだ。既に第二期からやらかしていた訳だ。業界初の『無人ピンサロ』や『Mサロ』も同じ発想から誕生している。基地外級のとんでもない発想を風俗業界に持ち込むのを私は得意としているのだろう。関西の風俗店は発想が面白い。SMクラブも、面白い企画や風変わりなコースが目白押しだ。マネタイズとのバランスまで細かく計算されたウィットに飛んだ企画が練られている。しかし私の場合は、マネタイズを度外視しているのが特徴だ。興味がないとまでは言わないが、マネタイズは得意ではない。ならばマネタイズは別の人にお任せして、私はさらに暴走したいと考える。こんな事を言い始める始末なのだから、私の奇人変人っぷりも群を抜いている。イカれた世界観を生み出すのが楽しくて仕方がないのだから、暴走する事を止められそうにない。こんな私の奇特な戦略をマネタイズしたい商才ある経営者を探している。業界初の衝撃的な世界観が誕生する事だけはお約束しよう。私も企画発案に関する作業対価くらいは欲しいが、必要以上に金銭を要求する性格では無い。マネタイズに関しては、その仕事に似合う高額報酬をお支払いするので、仲間になって頂けるとありがたい。
SM奇譚
創戯旅団 第381夜 本厚木変態オリンピック
※2026年09月24日22時55分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月24日22時11分【NOTE無料投稿】
東京五輪に照準を合わせて企画された本厚木変態オリンピックなる変則コースイベントは3つの特殊RPG(ロールプレイング)コースで構成されていた。抱き合わせ商法とも取れなくはないが、寧ろ悪目立ちを目的とする性豪対決の意味合いが強かった。世にも奇妙なコースが誕生していたので少しご紹介しよう。
【本厚木変態駅伝
往路】
1区〜5区までに区切られており、ちゃんと『花の2区』も『心臓破りの坂』もニュアンスを風俗的に再現して構成されていた駅伝風ロールプレイングコースだ。エレガンスとグランブルーの5つのコースを1日で走破するミッションコースにしてあった。90分、90分、120分、120分、120分で女性とコースを変えて完走を目指す9時間に渡るロングコースだ。7年間近くイベントを継続したが、1人だけ完走者がいた。完走者には『山の神』なる称号が与えられ、厚木エレガンスとグランブルー厚木の2,000円割引の永久権利が授与される。本厚木のレンタルルームを舞台に、このイベントを完走したお客様を紹介したい。初めてお店を利用した時は、女王様を横浜駅前に呼んだお客様だったと記憶している。2回目の来店では、本厚木で9時間に及ぶ『本厚木変態駅伝』の挑戦になった。入れ替わりで女王様がタスキリレーをしてイベントを盛り上げた。本当にタスキを用意して箱根駅伝風にリレーを再現したのだから愉快極まりなかった。参加したキャストは口を揃えて、半端無く面白かったと感想を述べていた。5区の最終走者として参加した女王様は、お客様が腰砕けになりヘロヘロで呆然となりながら帰って言ったと語っていた。残念ながら厚木へと来る事は二度と無かったので、折角の永久割引権を利用する事は無かった。女王様と遊ぶのは懲りたのだろう。13万円近く使ったのだから、風俗のサービスがあるコースで選びたかったと推測している。これは、私だから言える事だろうから、しっかりとお客様に伝えておきたい。底抜けなノリの良さに敬意を評したい。私達のくだらないイベントに果敢に挑戦した勇気を讃えたい。最後までやりきった根性も素晴らしい。私と現場にいた全てのキャストが、『やばい面白すぎる』と感じてしまったのだ。普通は逆だ。お客様を喜ばすのが風俗店だ。見事なまでに本末転倒。真逆になってしまった訳だ。しかし、お客様は二度と経験出来無いであろう特別な経験をしたのも事実。あの日は、私達の中でも伝説となった。私以外の人間に作れるコースでは無い。作る意味も無いだろうから、誰もトレースしないだろう。残念だったのは、最高にノリの良かったお客様と、その後のご縁を繋げなかった事だ。或いはどちらか遠方の県から横浜と厚木まで来て、遊んでくれたのかも知れない。同業者が『これは何だ?』と様子を見たのかもし知れない。5区までの完走は僅か1名だったが、途中まで挑戦した勇敢なチャレンジャーが何人も居た。私はそれが堪らなく嬉しかった。決して成功を求めてイベントを作ったのでは無かった。『こいつ!頭悪すぎだな!』そう思って貰いたかったのだから、私の基地外っぷりも相当だ。ちなみに箱根駅伝の癖に復路は盛り上がらないからという理由で、最初から作っていない。厚木エレガンスは第三期に突入し、妄想具合がパワーアップした。次なる奇策をどうしようか?私は今日もそんな事ばかりを考えている。『本厚木変態駅伝』をロサンゼルスオリンピック版にバージョンアップして復刻させるのも有りかと考えている。
【本厚木変態トライアスロン】
第1競技〜第5競技まで分かれており、グランブルー厚木の5コースを連続して遊ぶ事で完走を目指す競技として創り込んだ。当時のグランブルーは、スタンダードヘルス(デリヘル)、痴女、M性感と大きく3種の風俗が混在するお店になっていた。さらには真性痴女コースとVIP3Pコースもあったので、グランブルー厚木のコース全てを制覇するストーリーを創り込んだ。今思えばトライアスロンだと3競技だ。トライアスロンじゃないじゃんと苦笑いしかない。10種競技のハーフ版として『変態5種競技』の方がネーミングセンスも語呂も良かったかも知れない。残念ながら当時思いつく事は無かった。このイベントコースを完走すると、『鉄人』なる称号と2,000円の永久割引の権利を獲得出来る企画となっていた。こちらも完走者が居たのだから、変わり者は一定数は居るものだと感心したものだ。完走者は女王様の本指名のお客様だった。女王様に気に入られたかったのだろう。特定の女王様を軸に3Pだけを他の女王様が協力する組み合わせで走破した。その後、何度も永久割引権を使用して遊んでいたのだが、鉄人になって1年しない内に出禁になってしまった。常連様の中には本指名のキャストさん以外をたまにツマむお客様がいるのだが、そこで別の女王様やお店を小馬鹿にしようとするお客様がいる。私はそんなお客様は問答無用で出禁にした。他の女性を腹立たせたからだ。この場合、私は本指名だろうが全てを無効とした。本指名でも2度とお客様は厚木エレガンスを利用する事は出来ない厳しいルールを作った。情状酌量の余地は一切なし。『すいません』では済まさなかった。厚木エレガンスからは消えて貰う厳しい罰則だ。イエローカードが存在しない。1発レッドを喰らう強烈なお店だった。私はそれで良いと今でも思っている。お店のお客様が真ん中に入る事でキャストさん同士の関係や、お店とキャストさんの関係にヒビを入れた場合は、そのお客様を二度と信用しなかった。そこまで徹底しないと、精神のバランスを崩している人間の管理など出来ない。それが、私のSMクラブの鉄則だ。第二期末期は出来の悪い女王様が多く在籍していた。指名が居ようがお店とお客様の関係にヒビを入れた女王様からは容赦無くお客様を取り上げた。というよりお客様も問答無用で出禁となった。残念ながら、そこで女王様とお客様の関係は終わり。『今生の別れ』となった。私は謙虚さの無い人間を絶対に許さない。絶対に認めない。この鉄の掟に叛いた人間は厚木エレガンスからは退場処分となり消えていったのだ。私は私の儲けよりも、掟を守る事を重んじた。それがいつしか厚木エレガンスの中に浸透していった。他のお店であそこは『人間関係が大変みたいですね』と言われたキャストさんが複数居たらしい。その通りなので否定も反論もしない。それが7割の高額給を渡すという事だ。こちらとしては、『好き勝手して7割貰えると思っているその頭、マジで大丈夫か?』としか思っていない。私は、それで良いと思っている。7割の給与体制を最大限に活用したければ、少しは頭を働かすべきだろう。それだけの事を理解出来ない人が多いのが、女王様という職業だ。私が『サービス地雷』と『人間魚雷』を許さない理由だ。この強烈な就労基準を今後も変える必要性を感じては居ない。その代わりに、他店よりも15%以上の還元率アップを手に出来るのだから、本当に頭を働かすべきだろう。想像力の欠如している人間にSMクラブは務まらない。SMごっこの真の意味を理解出来ない人間がやって良い仕事では無い。こうやって、変態トライアスロンの『鉄人』は厚木エレガンスの『鉄の掟』の前に敗退した。
【本厚木女王無双】
このコースも大爆笑しながらコース説明を書いた記憶がある。厚木エレガンスのMコース(女王様)を5連続で遊ぶ設計だ。第1話〜第5話まで、各々に特別ミッションが存在していた。戦国時代と鬼武者とSMクラブの奇天烈な融合が特徴的だった。『オケツ狭間の合戦』で開幕し、『比叡山の焼き討ち』、『高松城水責め』、『本能寺の変態』、最後は『大阪ケツの陣』で終幕する。こんなストーリーだったと思うが、少し違っているかも知れない。全遊戯をクリアすると『天下人』の称号と2,000円の永久割引権を獲得出来る。思い返して見るとストーリーが矛盾している事に気がつく。豊臣秀吉の天下統一と物語をリンクさせるならば、『本能寺の変態』→『毛利攻略』あたりで物語は終わる。そこから先は豊臣家が滅びて徳川家康が天下人になる別の物語だ。そこまで計算せずにノリだけでストーリーを作り込んだのだから浅はかだったなと後悔している。このコースも完走者が1名居たのだが、実は誰だったかを覚えて居ない。その後もお店を利用してくれている常連さんだった事は覚えているが、そもそもが利用者全員に割引を付けてしてしまうのが私の切符の良さだ。思い返して欲しい。『7割バック』も『120分以上の利用で30分の無料延長-10,000円相当-プレゼント』も私ががめつい性格の人間ならば実現していない。ところがどうだろう?この2つは、第三期の今でも継続している目玉企画だ。私の切符の良さは筋金入りなのだ。それでも私を批判しようとするのは、言っちゃ悪いがせこすぎる。大人しくその特典を有効利用してしまうのが、頭の良い人間の行動だろう。残念ながら、不満を言ってる時点で雑魚確定だ。そんな人間は置き去りにして、これからも先に突き進もうではないか。不満のある人間と並走する気持ちは1ミリも無い。そんなざっくばらんな性格をしているので、誰が女王無双の達成者だったのかを忘れてしまった。あれは私が達成したよと名乗り出て貰えるとありがたい。永久割引を継続しないといけないので、達成者の把握だけはしておきたいところだ。変態オリンピックの中でも女王無双が一番独創的だったので、最初に達成者が出ると思い込んでいた。現実には本厚木変態駅伝が一番人気があったのを覚えている。本厚木女王無双はM男さんしか遊べないのが、初動が遅かった理由だと思っている。残り2年弱でLA五輪が始まる。前回のLA五輪も、私が高校生の時だった。二回目のLA五輪を楽しめると思っていなかった。変態オリンピックの復刻を企画するのは大いに有りだと考えている、今日この頃だ。
マルキ・ド・サドという怪物:第一部『ソドムの百二十日』episode.6&7
2026-09-23up
司書は今夜、これまで気づかなかった、ガラス張りの木箱がいくつも並ぶ一角へと、私を導いた。箱の中には、昆虫の標本や、乾燥した植物の葉が、丁寧にラベルを添えられて、整然と並べられている。
「前夜、私たちは物語を主導する四人の権力者について語りました」と司書は静かに言った。「今夜は、彼らが実際にこの城の中で行おうとした、この作品最大の特徴とも言うべき営みに、目を向けていきましょう」司書は標本箱の一つを、そっと持ち上げた。「分類するということ。この作品が、なぜこれほどまでに、欲望を体系立てて記録しようとしたのか。その発想の根を、今夜は掘り下げていきたいと思います」
SM奇譚
創戯旅団 外伝第78夜
世界禁書図書館〜SM・退廃・倒錯文化研究〜
「マルキ・ド・サドという怪物」を読む
第一部『ソドムの百二十日』:「欲望を分類する」という狂気
episode.6
「欲望を“分類”するという発想」
※2026年09月22日20時20分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月22日19時33分【note有料投稿】
■第一章:この作品を貫く、分類という構造
司書は標本箱を、静かに書架へと戻した。「これまでの研究で、私たちは繰り返し、この作品が持つ『分類』という特徴に触れてきました」と司書は言う。「今夜は、この特徴そのものを、正面から見つめ直していきましょう」
私は、この分類という構造が、具体的にどのような形で作品に現れているのかを尋ねた。
「この作品の大きな特徴は、物語の進行そのものが、ほとんど目録のような形式で組み立てられているという点にあります。語り手たちが、これまでに見聞きしてきた様々な出来事を、一つひとつ、体系立てて語り、それが月ごと、週ごとに、整然と配列されていくという構成です。物語という、本来であれば有機的に流れていくはずの営みが、ここでは、極めて几帳面な記録の集積として、組み立てられているのです」
私は、この形式そのものが、読者にどのような印象を与えるのかを尋ねた。
「通常の物語であれば、読者は登場人物の感情の起伏や、出来事の因果関係を追いながら、物語世界に没入していきます。しかし、この作品においては、そうした情緒的な没入よりもむしろ、まるで目録を繰るかのような、ある種の距離を保った読書体験が、意図的に作り出されているように、私には感じられます。この距離感こそが、この作品を、単なる扇情的な読み物とは一線を画す、特異な文学として成立させている要因の一つなのです」
私は、この几帳面な記録という形式が、当時の他の文学作品と比べて、どれほど異例のものだったのかを、さらに尋ねてみた。
「極めて異例であったと言えるでしょう」と司書は答えた。「十八世紀の小説の多くは、書簡体や一人称の語りを通じて、登場人物の心情の機微を、丁寧に描き出すことに、その文学的な力点を置いていました。感情の揺れ動き、心理の襞を、繊細に描写することこそが、当時の小説というジャンルに求められていた、重要な美点だったのです。ところがサドは、この潮流とはまったく逆の方向を選びました。感情の機微を描くのではなく、出来事そのものを、無機質な記録として積み重ねていく。この選択そのものが、当時の文学的な常識に対する、一つの明確な挑戦だったのです」
■第二章:欲望をカテゴリー化するという営みの意味
司書は書架の奥から、古い分類目録のような装丁の一冊を取り出した。「欲望というものを、あたかも標本のように分類し、記録するという発想。この発想そのものが持つ意味について、考えていきましょう」と司書は言った。
私は、なぜ欲望という、極めて個人的で流動的なものを、あえて分類しようとしたのかを尋ねた。
「分類するという行為には、対象を掌握し、理解可能な範囲に収めようとする、人間の根源的な衝動が宿っています。本来、欲望とは、個々の人間の内側に、極めて多様で、捉えどころのない形で存在しているものです。それを、あたかも自然界に存在する生物種のように、明確なカテゴリーへと切り分けていくという営みは、この捉えどころのないものに、人為的な秩序を与えようとする、極めて知的な、そしてある意味で暴力的な試みでもあるのです」司書は目録をゆっくりとめくった。「この分類という営みによって、個々の欲望は、それぞれ固有の文脈や背景から切り離され、一つの独立したカテゴリーとして、記録されていくことになります。この操作は、対象を理解しやすくする一方で、その対象が本来持っていた、個別性や複雑さを、大きく削ぎ落としてしまうという側面も持っています」
私は、この削ぎ落としという側面が、この作品の持つ、ある種の非人間的な冷たさと、どのように関係しているのかを尋ねた。
「鋭い指摘です。分類という営みは、対象を理解可能にすると同時に、その対象から、生きた個別性を奪い取っていく作業でもあります。この作品を読んだ多くの読者が感じる、独特の冷たさや不気味さは、まさにこの、分類という行為に内在する、対象の個別性を消し去っていく暴力性から来ているのではないかと、私は考えています」
私は、この冷たさという特質が、当時の他の過激な文学とは、どのように異なる印象を読者に与えているのかを、あらためて尋ねてみた。
「良い視点です。当時、性的に扇情的な内容を扱った文学作品は、決して珍しいものではありませんでした。しかし、その多くは、むしろ情熱的で、感覚に訴えかけるような、熱を帯びた筆致で書かれていました。サドの筆致は、そうした同時代の扇情文学とは、対照的な性質を持っています。彼の文体は、むしろ乾いており、几帳面で、まるで会計簿をつけるかのような、冷徹な筆致で貫かれているのです。この温度の低さこそが、彼の作品を、単なる扇情文学の一種として片付けることを、困難にしている理由の一つなのです」
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「欲望を分類する」という狂気は、サドだけの発想だったのか?
ここから先は、十八世紀という時代そのものへと踏み込みます。
リンネの分類学
ディドロとダランベールの『百科全書』
啓蒙思想が生み出した「体系化」という欲望
「知ること」と「支配すること」の関係
人間の内面を分類するという発想
そして最後には、
「分類する」という行為そのものが、なぜ権力と結びついてしまうのか。
『ソドムの百二十日』を、単なる過激文学ではなく、
「人間を標本化する文学」として読み直していきます。
この作品における「分類」は、
単なる整理術ではありません。
欲望を知ること。
欲望に名前を与えること。
欲望を並べること。
そして、その欲望を持つ人間そのものを捉え直すこと。
その先に見えてくるものを、
ここからじっくり考えていきましょう。
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■深夜二時、数字だけが刻まれた石版の前で
司書は今夜、書架の奥にある、小さな石版の前へと、私を導いた。表面には、文字らしきものはほとんどなく、ただ、規則正しく並んだ数字だけが、浅く刻まれている。
「前夜、私たちは、欲望を分類するという発想そのものの、思想的な根について語りました」と司書は静かに言った。「今夜は、その分類が、実際にどれほどの規模で行われたのかという、具体的な数の問題に、目を向けていきましょう」司書は石版の数字を、指先でなぞった。「百五十。この作品が、欲望というものを、実に百五十種類にわたって数え上げ、記録していったという事実。この『数量化』という営みが、人間という存在にとって、何を意味していたのかを、今夜は考えていきたいと思います」
SM奇譚
創戯旅団 外伝第79夜
世界禁書図書館〜SM・退廃・倒錯文化研究〜
「マルキ・ド・サドという怪物」を読む
第一部『ソドムの百二十日』:「欲望を分類する」という狂気
episode.7
「150種類の欲望という発想」
※2026年09月23日20時55分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月23日20時11分【note有料投稿】
■第一章:数量化された欲望という発想
司書は、石版から少し離れ、静かに語り始めた。「前夜論じたように、この作品は、欲望というものを、体系立てて記録しようとする、極めて几帳面な知的な営みに貫かれています。今夜注目したいのは、この分類が、単なる大まかな類型分けにとどまらず、実に精緻な、数量化された形で行われているという点です」
私は、この数量化という手法が、通常の物語の書き方とどのように異なるのかを尋ねた。
「通常、物語における欲望や情念は、数として数え上げられるようなものではありません。それは、登場人物の内面に流れる、連続的で、境界の曖昧な感情の動きとして、描かれるのが一般的です。しかし、この作品においては、欲望というものが、あたかも標本箱に並べられた昆虫のように、一つ、二つと、明確に区切られ、数え上げられていくのです」司書は石版の数字を、もう一度、静かに指し示した。「この数量化という発想そのものが、欲望という、本来は連続的で、個人ごとに無限のグラデーションを持つはずの現象を、あたかも有限個の、明確に区切られた項目の集合であるかのように、扱い直しているのです。この操作は、極めて特異な、そして、ある意味で暴力的な知的態度だと言えるでしょう」
私は、この数量化という発想が、いつ頃、どのような知的背景から生まれてきたのかを尋ねた。司書は少し目を伏せてから、答えた。
「この問いは、時代背景を考える上で、非常に重要です。この作品が書かれた十八世紀という時代は、まさに啓蒙の世紀でした。自然界のあらゆる事物を観察し、分類し、体系化しようとする博物学的な情熱が、社会全体を覆っていた時代です。リンネが動植物を体系的に分類し、百科全書派が人類の知を網羅的に整理しようとした、あの知的熱狂の空気の中に、この作品もまた生まれ落ちているのです。つまり、欲望を数え上げるという、一見グロテスクにも思えるこの営みは、実は当時の知的潮流と、決して無縁ではなかったのだと、私は考えています」
「言い換えるならば」と司書は続けた。「この作品は、啓蒙の時代が持っていた『分類し、体系化する』という知的態度を、最も禁忌とされる領域にまで、容赦なく適用してみせた、一種の極限実験だったと言えるでしょう。理性の光を、人間の理性そのものが目を背けたくなるような領域にまで、徹底的に差し向ける。この徹底性こそが、この作品を単なる猥雑な読み物から、思想史的な問題作へと押し上げている要因なのだと思います」
私は、この時代精神と、当時の分類学の具体的な手法との間に、何か形式的な共通点があるのかを、さらに尋ねてみた。
「良い着眼点です」と司書は頷いた。「リンネの分類体系が、界・門・綱・目・科・属・種という、階層的な構造を持っていたことを思い出してください。この作品における欲望の記録もまた、単に百五十個を横並びに列挙しているわけではありません。むしろ、単純な欲望から、より複雑で、より過激な欲望へと、段階的に配列されていく構造を持っています。この階層性は、当時の博物学が持っていた『単純なものから複雑なものへ』という進化論的とも言える秩序意識と、驚くほど似た構造を宿しているのです」
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150種類の欲望という発想。第一章では、「欲望を分類し、数量化する」というサドの発想と、18世紀の啓蒙思想、そして博物学に代表される「分類する知」の思想的背景を追いました。しかし、本当に恐ろしいのは、欲望を150種類に分類したという「数」そのものではありません。問題なのは、そもそも人間の欲望を、数えることができるものとして扱ったという発想です。「150」という数字が刻まれた瞬間、そこにあったはずの人間の感情や人生、葛藤や記憶は、少しずつ後景へと退いていきます。
一人の人間が持っていた複雑な人格は、「一つの欲望」へ。
一つの欲望は、「一つの項目」へ。
そして一つの項目は、「一つの数字」へ。
この変換が進んだ先に、一体何が残るのでしょうか。ここから先では、単なる作品紹介や刺激的な内容の解説ではなく、「人間を分類する」という行為そのものが持つ思想的な意味へと踏み込んでいきます。
■
個人差を消していく分類
一人ひとりの人生が、カテゴリーへ変わるとき何が失われるのか。
■
「一人の人間」から「一つの欲望」への還元
複雑な人格を、一つの欲望の体現者として扱うことの意味。
■
人間を「標本」として扱う文学
登場人物が「人物」ではなく「観察対象」へと変わっていく構造。
■
数量化と人間の尊厳
数字に置き換えられた瞬間、人間から何が剥ぎ取られるのか。
■
理性による人間の標本化という逆説
「分類する」「記録する」「体系化する」という理性的な行為が、なぜ人間性の解体へと接近してしまうのか。
そしてさらに、
なぜサドは、欲望を「語る」だけではなく、それを「数え上げる」必要があったのか。
なぜ「150」という数字でなければならなかったのか。そこに、18世紀という時代そのものが持っていた「知への欲望」は、どのように入り込んでいるのか。
そして最終的には、
「人間とは何か」
「欲望とは何か」
「人間を理解するとは、分類することなのか」
という、作品そのものを越えた問いへと進んでいきます。
「150」という数字を、単なる作品中の数字として読むのか。それとも、人間を理解しようとする知性そのものが持つ、危うさの象徴として読むのか。ここから先は、その数字の奥に隠された思想を、一つずつ解体していきます。
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マルキ・ド・サドという怪物:第一部『ソドムの百二十日』episode.4&5
2026-09-22up
司書は今夜、石の部屋の片隅に置かれた、古い木製の閲覧机へと、私を導いた。机の上には、山岳地帯を描いた、色褪せた古地図が広げられている。前夜、バスティーユという現実の監獄について語られたばかりの私にとって、今夜また新たな「閉じられた場所」の話が始まるという予感は、どこか必然のようにも感じられた。
「前夜、私たちはバスティーユという、現実の閉鎖空間について語りました」と司書は静かに言った。「今夜は、作品そのものの内部に描かれた、もう一つの閉鎖空間へと、足を踏み入れていきましょう」司書は地図の上、深い山々に囲まれた一点を、指先でそっと示した。「シリング城。この作品の物語すべてが展開する、外界から完全に切り離された舞台です」
SM奇譚
創戯旅団 外伝第76夜
世界禁書図書館〜SM・退廃・倒錯文化研究〜
「マルキ・ド・サドという怪物」を読む
第一部『ソドムの百二十日』:「欲望を分類する」という狂気
episode.4
「城館という“閉じた世界”」
※2026年09月20日22時55分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月20日22時22分【note有料投稿】
■第一章:地図の上に存在しない城
司書は地図の上に指を這わせながら、静かに語り始めた。「物語の舞台として設定されているシリング城は、黒い森の奥深く、雪に閉ざされた山岳地帯に位置しているとされています。しかし、実際にはこの場所は、現実の地理に正確に対応するものではありません。サドは、実在の地名を借りながらも、極めて意図的に、現実の地図からは切り離された、いわば架空の閉域として、この舞台を構築しているのです」
私は、なぜこのような、実在するようでいて実在しない、曖昧な地理設定が選ばれたのかを、あらためて尋ねてみた。司書は少し考えてから答えた。
「もし現実に存在する具体的な地名を、そのまま舞台に用いていたならば、読者はその土地にまつわる既存のイメージに、どうしても引きずられてしまうでしょう。サドが求めていたのは、そうした既存の連想から完全に自由な、まっさらな実験空間でした。地図の上には存在しない城だからこそ、そこで展開される出来事は、特定の歴史や地域性から切り離された、より普遍的な問いとして、読者に届けられることになるのです」
私は、この地理的な曖昧さが、どのような意味を持っているのかを尋ねた。
「良い問いですね。現実の場所を正確に特定できないということは、読者にとって、この城館を、どこか特定の実在の場所として距離を取って眺めることを、困難にします。むしろ、それは、どこでもあり得る、しかしどこにも実在しない、一つの純粋に観念的な実験空間として、読者の前に立ち現れることになるのです」司書は地図を、そっと閉じた。「重要なのは、この城が、単なる舞台装置以上の意味を持っているという点です。物語が始まる前に、登場人物たちは、周到な準備のもとに、外界とのあらゆる接続を、意図的に断ち切っていきます。橋は落とされ、食料は厳重に管理され、脱出の可能性は、あらかじめ徹底的に排除されているのです」
私は、この物語冒頭に置かれた、周到な準備の描写そのものが、読者にどのような心理的な効果をもたらすのかを尋ねてみた。
「面白い視点ですね。この準備の描写を丁寧に読み進めることによって、読者もまた、登場人物たちと共に、外界から切り離されていく過程を、疑似的に体験することになります。橋が落とされる瞬間、読者の意識の中でも、現実世界へとつながる最後の糸が、静かに断ち切られていく。この没入の演出こそが、後に続く物語を、単なる絵空事としてではなく、閉ざされた空間の内部で確かに進行している出来事として、読者に受け止めさせるための、周到な仕掛けなのです」
■第二章:隔絶という手続きの周到さ
私は、この隔絶の手続きが、なぜこれほどまでに詳細に描かれているのかを尋ねた。司書は、机の引き出しから、古い建築図面のような紙片を取り出した。
「この作品を読む上で、見落とされがちな重要な点があります」と司書は言った。「サドは、登場人物たちが城に入るまでの経緯、そして城が完全に外界から切り離されるまでの過程を、驚くほど几帳面に、まるで実務書のような筆致で記述しているのです」
私は、この几帳面さが、前々夜に論じられた「分類」という主題と、どのように結びついているのかを尋ねてみた。
「鋭いつながりですね。前々夜、私たちは、この作品全体を貫く、分類し記録するという知的な衝動について論じました。この隔絶の手続きの詳細な描写もまた、まさにその衝動の一部なのです。物資の在庫、人員の配置、外界との接続を断つための具体的な手順。これらすべてが、まるで一つの巨大な実験を準備する科学者の手記のように、正確に、そして冷徹に記録されていきます」司書は図面をそっと机に置いた。「この周到さは、単なる物語上の説明にとどまりません。むしろ、これから展開される出来事が、偶発的な暴走ではなく、あらかじめ入念に計画された、一つの体系だった実験であることを、読者に強く印象づける機能を果たしているのです」
私は、この計画性という要素が、物語全体の性格を、どのように規定しているのかを、さらに尋ねた。
「この周到な準備の描写があるからこそ、後に展開される出来事は、単なる無秩序な狂乱としてではなく、むしろ、極めて統制された、一種の疑似科学的な実験として、読者の前に提示されることになります。この統制と過激さとの奇妙な同居こそが、この作品が持つ、独特の不気味さの源泉なのだと、私は考えています」
私は、この統制という視点を、さらに掘り下げて尋ねた。統制されているからこそ、かえって恐ろしく感じられるという逆説は、他の文学作品にも見られる現象なのだろうか、と。
「良い着眼点です。恐怖や不安を描く文学において、混沌そのものよりも、むしろ、整然とした秩序の中に潜む不穏さの方が、読者に強い不気味さを与えることは、しばしば指摘される現象です。無秩序な暴力には、どこか人間的な衝動性が感じられますが、冷静に計画され、几帳面に記録された暴力には、むしろ、人間性から切り離された、機械的な冷たさが漂います。サドの筆致が持つ、この奇妙な冷静さこそが、読者を最も落ち着かない気持ちにさせる要因なのかもしれません」
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ここまで、シリング城という「閉ざされた世界」が、どのように作られていったのかを見てきました。地図の上に存在するようで、完全には特定できない城。外界との接続を断ち切るために、周到に準備された隔絶空間。そして、物資や人員、脱出経路までを細かく管理する、異様なまでの計画性。ここまで読み進めると、この城が単なる物語の背景ではないことが、少しずつ見えてきます。
しかし、ここから先は、視点をさらに一段階引き上げます。そもそも、「外界から隔絶された空間を作り、その内部で人間を観察する」という文学的な仕掛けは、サドだけのものだったのでしょうか。ここからは『デカメロン』をはじめとする文学史の系譜、ゴシック小説、密室劇、そして後世の演劇へと視野を広げながら、「閉ざされた空間」という文学的装置そのものについて考えていきます。
さらに、その先にはもう一つの問いがあります。なぜ文学は、何度も何度も「逃げ場のない場所」を必要としてきたのか。なぜ人間は、社会から切り離された瞬間に、物語の中でその本性を試されるのか。そして、シリング城という閉ざされた空間は、作者マルキ・ド・サド自身が置かれていた「牢獄」という現実と、どこまで響き合っているのでしょうか。
ここから先は、「シリング城」という一つの舞台を読む話から、「密室」という文学そのものを読む話へ。そして最後には、次夜のテーマである、公爵・司教・大統領・銀行家という四人の「権力者」へと話が繋がっていきます。ここから先も、ぜひ禁書のページをめくってみてください。
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■深夜二時、四つの紋章が並ぶ壁の前で
司書は今夜、石の部屋のさらに奥、これまで気づかなかった一角へと、私を導いた。壁には、四つの古びた紋章が、等間隔に並んで掲げられている。剣を象った紋章、十字架を象った紋章、天秤を象った紋章、そして貨幣を象った紋章だった。
「前夜、私たちはシリング城という、閉ざされた舞台そのものについて語りました」と司書は静かに言った。「今夜は、その舞台の中心に据えられた、四人の人物たちに目を向けていきましょう」司書は紋章を、一つずつ指し示した。「公爵、司教、大統領、そして銀行家。なぜサドは、これほどまでに周到に、社会の主要な権威を体現する人物たちを、この物語の中心に配置したのでしょうか」
SM奇譚
創戯旅団 外伝第77夜
世界禁書図書館〜SM・退廃・倒錯文化研究〜
「マルキ・ド・サドという怪物」を読む
第一部『ソドムの百二十日』:「欲望を分類する」という狂気
episode.5
「四人の権力者」
※2026年09月21日19時55分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月21日19時22分【note有料投稿】
■第一章:四つの権威の類型
司書は、剣を象った紋章の前に立った。「まず、公爵という存在から見ていきましょう」と司書は言う。「これは、血統に基づく貴族的権威を体現する人物です。生まれながらにして与えられる特権、家系という、本人の努力とは無関係に継承される権力の型を、彼は代表しています」
私は、この血統という権威の性質について、さらに尋ねた。
「血統による権威の特徴は、その正当性の根拠が、個人の能力や実績ではなく、過去から続く連続性そのものに置かれている点にあります。この種の権威は、極めて古く、そして極めて根深いものです。フランスの旧体制そのものが、まさにこの血統という原理の上に築かれていました」
私は、この公爵という人物像が、作者であるサド自身の出自と、どこか重なる部分を持っているのかを、さらに尋ねてみた。
「鋭い指摘です」と司書は答えた。「サド自身もまた、由緒ある貴族の家系に生まれた人物でした。この意味において、公爵という登場人物は、単なる架空の他者としてではなく、作者自身が生まれ落ちた世界そのものへの、内側からの批評的な視線を、色濃く反映していると考えることができます。自らが属する階級の権威の構造を、これほど徹底的に解剖してみせたという事実には、単なる第三者的な観察を超えた、自己に対する痛烈な視線も含まれていたのかもしれません」司書は、次に十字架の紋章の前へと移った。「司教は、宗教的権威を体現しています。神という、この世を超えた絶対的な存在を後ろ盾とする権威です。この種の権威の特徴は、その正当性が、人間社会の外部、すなわち超越的な領域に根拠を置いているという点にあります」
私は、この宗教的権威が、他の権威とどのように異なる性質を持つのかを尋ねた。
「宗教的権威は、しばしば、他のいかなる世俗の権力よりも高い位置に自らを置こうとします。国王でさえ、神の代理人としてその地位を正当化してきた歴史があります。この超越性ゆえに、宗教的権威は、時に、世俗の権威の暴走に対する、一つの歯止めとして機能することもありました」
私は、この司教という人物が、物語の中に配置されていることの、特別な意味について尋ねてみた。
「本来であれば道徳の守護者であるはずの聖職者が、他の世俗的な権力者たちと肩を並べて、この閉ざされた城の中に加わっているという設定そのものが、極めて痛烈な皮肉として機能しています。道徳的な監督者であるべき存在が、監督されるべき側の一員として振る舞ってしまうとき、社会を支えるべき道徳的な歯止めは、内側から静かに崩れ落ちていくことになるのです」司書は続いて、天秤の紋章の前へと歩みを進めた。「大統領という肩書きは、この作品が書かれた文脈においては、現代的な国家元首というよりも、むしろ、高等法院における法曹の要職を意味していたと考えられます。つまり、司法権力を体現する存在です」
私は、司法権力という類型の特徴について尋ねた。
「司法権力の正当性は、法という、明文化された規則の体系に根拠を置いています。血統や信仰とは異なり、原理的には、誰もが従うべき、普遍的な規則であることが、その権威の建前となっています。しかし、その運用の実態においては、しばしば、権力を持つ者に都合よく解釈され、悪用される危険性も、常に内包していました」
私は、この「法の番人でありながら、法を私物化する」という構図が持つ、より深い意味について尋ねた。
「法とは、本来、権力者の恣意から、弱い立場の人々を守るための盾として機能するべきものです。しかし、法を運用する権限そのものが、権力者の手に握られてしまえば、その盾は、いとも簡単に、剣へと姿を変えてしまいます。この転倒こそが、司法権力という類型が抱える、最も根深い危うさなのです」最後に、司書は貨幣の紋章の前に立った。「銀行家は、経済的権威を体現しています。血統でも、信仰でも、法でもなく、貨幣という、極めて世俗的で流動的な力に基づく権威です」
私は、この経済的権威の特異性について尋ねた。
「経済的権威の興味深い点は、それが伝統的な身分制度の外側から、新たに台頭してきた権力の型だという点です。十八世紀のフランスにおいて、商業や金融によって富を蓄積した新興の階層は、伝統的な貴族の身分秩序とは、また別の論理で、社会に強い影響力を及ぼし始めていました。銀行家という人物像は、まさにこの新しい権力の台頭を象徴しているのです」
私は、この経済的権威が、他の三つの伝統的な権威と結びつくことの、歴史的な意味についても尋ねてみた。
「これは、極めて先見的な洞察だったと言えるでしょう。血統、信仰、法という、旧来の権威の型に、新興の経済力が加わり、それらが互いに結託していくという構図は、まさに旧体制が崩壊へと向かう直前の、フランス社会の縮図でもありました。伝統的な権威と、新しい経済力とが手を結ぶとき、その結託は、単独のいずれの権威よりも、はるかに強固で、それゆえに、より危険なものになり得るのです」
■第二章:なぜ単独の権力者ではなく、四人だったのか
司書は、四つの紋章を、順に見渡した。「ここで、今夜の核心的な問いに向き合いましょう」と司書は言った。「なぜサドは、単独の暴君ではなく、あえて四種類の異なる権威を体現する人物たちを、並べて配置したのでしょうか」
私は、この問いへの、司書自身の見解を尋ねた。
「一人の暴君による専制であれば、その物語は、特定の個人の異常性、あるいは病理として、比較的容易に片付けられてしまいます。しかし、血統、信仰、法、そして貨幣という、社会を構成する主要な権威の型が、すべて共謀して一つの目的のために結託するとき、そこに現れるのは、もはや個人の異常性ではなく、社会という構造そのものが内包する、根源的な危うさなのです」司書は静かに続けた。「言い換えれば、サドは、特定の悪人を描こうとしたのではありません。むしろ、社会を成り立たせているはずの、あらゆる権威の型が、互いを牽制する力を失い、一つの目的のために手を結んでしまったとき、いったい何が起こり得るのかという、社会そのものへの、恐るべき思考実験を試みたのです」
私は、この四人という数そのものにも、何か象徴的な意図が込められているのではないかと尋ねてみた。
「興味深い視点ですね。四という数は、古来より、世界を構成する要素の全体性を示す数として、しばしば用いられてきました。四つの方位、四つの季節、四つの元素。サドがあえて四人という数を選んだ背景には、これが単なる偶然の人数ではなく、社会という全体を構成する、主要な権威の類型を、網羅的に示そうとする意図があったのではないかと、私は考えています。四人という数字そのものが、これが特定の個人の逸脱ではなく、社会構造全体を象徴する寓話であることを、暗に示しているのです」
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ここから先では、サドが描いた「四人の権力者」を、単なる登場人物の配置としてではなく、社会における権力構造そのものとして読み解いていきます。なぜ、血統・信仰・法・貨幣という異なる権威が、一つの閉ざされた空間に集められたのか。そして、この構造は、十八世紀フランスの思想状況とどのようにつながっているのか。
後半では、
モンテスキューの「権力分立」という理念
シリング城における権力集中の構造
異なる権威が互いを監視しなくなったとき何が起こるのか
「権力の結託」と弱い立場の人々との関係
サドの作品を単なる過激文学ではなく「社会構造の思考実験」として読む視点
そして次回以降につながる「分類すること」と「支配すること」の関係
について、さらに踏み込んで考察していきます。
四人の権力者は、単なる「四人の悪人」なのか。それとも、社会を構成する異なる権威そのものを、一つの部屋に閉じ込めた装置なのか。ここから先は、その問いを手掛かりに、『ソドムの百二十日』の奥に仕掛けられた「権力の構造」を読み解いていきます。
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マルキ・ド・サドという怪物:第一部『ソドムの百二十日』EP.03(外伝第75夜)
2026-09-19up
司書は今夜、前々夜に訪れた、あの石造りの小部屋へと、再び私を導いた。窓のない壁に、燭台の炎が、鉄格子を模した意匠の影を、揺らめかせながら投げかけている。前々夜、この部屋で聞いた、作品誕生の物語を、私はまだ鮮明に覚えていた。
「今夜は、場所そのものに目を向けましょう」と司書は静かに言った。「バスティーユという監獄が、なぜ、これほど巨大な文学を生み出す土壌になり得たのか。その逆説について、じっくりと考えていきたいと思います」司書は壁に映る影を、しばらく見つめていた。「自由を奪われた人間が、自由という主題を、これほどまでに執拗に書き続けたという事実。この矛盾そのものが、今夜の主題です」
私は、前々夜に語られた、獄中での執筆という状況を思い出しながら、今夜はその「場所」という要素そのものに、より深く光が当てられるのだろうと、静かに予感していた。
SM奇譚
創戯旅団 外伝第75夜
世界禁書図書館〜SM・退廃・倒錯文化研究〜
「マルキ・ド・サドという怪物」を読む
第一部『ソドムの百二十日』:「欲望を分類する」という狂気
episode.3「バスティーユという監獄が生んだ文学」
※2026年09月19日23時11分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月19日22時44分【note有料投稿】
■第一章:バスティーユという建造物の記憶
司書は、部屋の隅に置かれた、古い石の模型を指差した。要塞のような、いかつい輪郭を持つ建物だった。「バスティーユは、本来、十四世紀に建てられた要塞でした」と司書は言う。「パリの東側を守る軍事施設として築かれ、後にフランス国王の勅命によって拘束された者を収容する、国家の監獄へと姿を変えていきます」
私は、この建物が持っていた、社会的な意味について尋ねた。
「バスティーユに収監されるということは、通常の司法手続きを経ない、いわば国王の恣意による拘束を意味していました。レットル・ド・カシェと呼ばれる勅命によって、裁判もなく、時に理由さえ明確にされないまま、人はこの分厚い壁の内側に、長期間、留め置かれることがあったのです」司書は模型にそっと手を触れた。「サドがこの場所に移されたのは、1784年のことでした。彼はすでにヴァンセンヌの城砦で、長い監禁生活を経験していましたが、その後、バスティーユへと移送されます。そしてこの場所で、翌1785年、私たちが今研究している『ソドムの百二十日』が、書き記されることになるのです」
私は、この建物そのものが持つ、象徴的な意味について、さらに尋ねてみた。
「バスティーユは、単なる一つの監獄ではありませんでした。それは、旧体制という巨大な権力機構が持つ、恣意的で不透明な支配の象徴でもあったのです。後に、この建物が革命の口火を切る襲撃の対象となったことは、決して偶然ではありません。サドが、まさにこの権力の象徴とも言うべき場所で、権威や体制への根深い懐疑を作品に込めていたという事実には、深い皮肉が宿っていると、私は思うのです」
私は、当時のバスティーユが、実際にどのような収容者を抱えていたのかを、さらに尋ねてみた。
「面白いことに、バスティーユに収監されていた人々は、決して凶悪な犯罪者ばかりではありませんでした。むしろ、政治的な言論によって国王の不興を買った知識人や、家族間の争いによって幽閉された貴族の子弟など、多様な背景を持つ人々が、この壁の内側に留め置かれていたのです。ヴォルテールもまた、若き日にこの場所に収監された経験を持つ一人でした。つまりバスティーユは、単なる犯罪者の収容施設ではなく、旧体制が持つ、恣意的な権力行使の、いわば縮図のような場所だったのです」
■第二章:監獄文学という、一つの系譜
司書は書架の奥から、様々な言語で書かれた、古い書物の背表紙が並ぶ一角へと、私を導いた。「実のところ、獄中で生み出された文学作品は、サドに限った特異な現象ではありません」と司書は言う。「人類の文学史を振り返れば、監獄という極限の環境が、思いがけず豊かな創作の土壌になった例は、決して少なくないのです」
私は、そうした先例について、詳しく尋ねた。
「たとえば、中世の哲学者ボエティウスは、投獄され処刑を待つ身でありながら、『哲学の慰め』という、後世に大きな影響を与えた著作を書き上げました。あるいは、セルバンテスもまた、投獄の経験を持つ人物です。近代に目を移せば、オスカー・ワイルドが獄中で綴った書簡は、彼の文学の中でも、極めて重要な位置を占めています」司書は、これらの書物を、順に指でなぞった。「これらの作品に共通しているのは、身体の自由を奪われた極限状況が、かえって、精神の内側への、深い掘り下げを促したという点です。外界との接触を絶たれることによって、人間は、自らの内面と、否応なく向き合わざるを得なくなります。この強制された内省こそが、獄中文学というジャンルに、独特の深みを与えているのだと、私は考えています」
私は、サドの場合、この一般的な傾向と、どのように重なり、あるいは異なっているのかを尋ねた。
「多くの獄中文学が、内省や、精神的な救済、あるいは信仰への深まりを主題としてきたのに対し、サドの獄中での執筆は、むしろ、外界の道徳や制約からの、想像力による徹底的な逸脱を志向していました。この点において、彼の獄中文学は、同じ系譜に連なりながらも、極めて異質な方向性を持っていたと言えるでしょう。内省ではなく、むしろ、内側から外側へと、想像力を爆発的に押し広げていく。これが、サドの獄中執筆が持つ、際立った特徴なのです」
私は、この違いが生まれた背景について、さらに尋ねてみた。司書はしばらく考えてから答えた。
「一つには、信仰という拠り所の有無が関わっているのかもしれません。ボエティウスやワイルドの獄中の文章には、それぞれの形での、超越的なものへの信頼や、救済への希求が、通奏低音のように流れています。しかし、サドという人物は、啓蒙思想の申し子として、そうした超越的な信仰そのものに、極めて懐疑的な立場を取り続けました。内省の果てに救いを見出す先が失われたとき、精神は、内側に沈み込むのではなく、外側へと、極限まで拡散していかざるを得なかったのかもしれません」
私は、この対比をさらに広げ、獄中文学というジャンル全体を、より大きな視座から捉え直すことができないかと尋ねてみた。司書は静かに頷いた。
「獄中文学というジャンルは、突き詰めれば、極限の不自由という条件のもとで、人間の精神がどこへ向かおうとするのかという、一つの壮大な実験の記録の集積だと言えるでしょう。ある者は信仰へ、ある者は自己省察へ、そしてサドのように、ある者は想像力の徹底的な解放へと向かう。この多様な方向性そのものが、人間の精神が持つ、計り知れない幅の広さを、私たちに教えてくれているのです」
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ここまで、バスティーユという監獄が持っていた歴史的な意味。そして、そこから生まれた「獄中文学」という特殊な文学の系譜について見てきました。身体を閉じ込められた人間は、なぜ文章を書くのか。自由を奪われた人間は、なぜ自由について考えるのか。そして、なぜサドは、自由を奪われた監獄の中で、あれほど極端な「自由」を描き続けたのか。
ここからが、今夜の本題です。第三章では、「自由を描くために、閉じ込められるという皮肉」という、サドという人物と『ソドムの百二十日』を読み解くうえで避けて通れない逆説へ踏み込みます。さらに、
自由を奪われることで、想像力はどう変化するのか
獄中という閉鎖空間は、創作に何をもたらしたのか
サドの「欲望を分類する」という異様な執筆姿勢と、獄中生活にはどんな関係があったのか
そして、現実のバスティーユと、作品内部の「シリング城」はなぜ響き合うのか
最後には、現実の監獄から『ソドムの百二十日』内部の密室へと視点を移していきます。「監獄で書かれた作品」というだけでは見えてこない、もう一つ深い構造へ。ここから先は、その扉を開けます。
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マルキ・ド・サドという怪物:第一部『ソドムの百二十日』EP.02(外伝第74夜)
2026-09-17up
司書は今夜、石の部屋を抜けた先にある、細長い回廊へと私を導いた。壁には、額装された古い肖像画が、等間隔に並んでいる。どれも、色褪せ、ひび割れた絵の具の下に、かろうじて人物の輪郭だけを留めている。
「今夜は、作品そのものではなく、一人の人間に会いに行きましょう」と司書は静かに言った。「ドナティアン=アルフォンス=フランソワ・ド・サド。この名前の背後にいた、生身の人間についてです」
司書は回廊の奥、一枚の肖像画の前で足を止めた。輪郭のほとんどが失われた、若い貴族らしき人物の絵だった。
「前夜、私たちは『なぜ百二十日が書かれたのか』という、作品誕生の物語を追いました。今夜はその一歩手前、この作品を書いた人間そのものへと、視線を移していきます」
SM奇譚
創戯旅団 外伝第74夜
世界禁書図書館〜SM・退廃・倒錯文化研究〜
「マルキ・ド・サドという怪物」を読む
第一部『ソドムの百二十日』:「欲望を分類する」という狂気
episode.2
「サドという男は、何者だったのか」
※2026年09月17日23時59分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月17日23時11分【note有料投稿】
■第一章:プロヴァンスに生まれた貴族の子
司書は、肖像画の額縁に、そっと指先を這わせた。「サドは1740年、パリのコンデ館で生まれました」と司書は語り始めた。「父はサド伯爵、母はコンデ公家に連なる家系の女性でした。つまり彼は、フランス貴族社会の中でも、かなり由緒ある血筋に生まれた人物だったのです」
私は、この生まれの良さが、後の彼の人生に、どのような影を落としたのかを尋ねた。
「良い問いですね。貴族社会というものは、生まれながらにして特権を約束される一方で、その特権にふさわしい振る舞いを、絶えず求められる世界でもありました。幼いサドは、コンデ公の息子と共に育てられたと伝えられています。つまり彼は、フランス王家に連なる人々の傍らで、少年時代を過ごしたのです。この環境は、彼に強烈な自尊心と、同時に、その自尊心を裏切られたときの、強い反発心を植え付けたのではないかと、私は考えています」司書は回廊をゆっくりと歩きながら続けた。「彼が育ったプロヴァンス地方の家系にも、目を向けておく必要があります。南フランスという土地は、パリの宮廷文化とはまた異なる、独自の風土と気質を育んできました。乾いた光、荒々しい岩山、そして中央から距離を置いた独立心。こうした風土が、彼の気質のどこかに、確かに刻まれていたのかもしれません」
私は、幼少期の家庭環境についても、もう少し詳しく尋ねてみた。司書は少し考えてから答えた。
「幼いサドは、比較的早い時期に、両親のもとを離れて育てられています。父親は外交官としての職務で各地を転々とし、母親もまた、宮廷での務めに多くの時間を費やしていました。結果として、幼い彼を実質的に育てたのは、伯父にあたるサド神父であったと伝えられています。この伯父は、聖職者でありながら、決して禁欲的な人物ではなく、むしろ享楽的な暮らしぶりで知られていました。幼少期における、この矛盾した大人の姿との出会いもまた、後の彼の人格形成に、少なからぬ影響を与えたのではないかと、私は考えています」
■第二章:戦場を駆けた青年将校
司書は、隣の肖像画(軍服を纏った、より年若い姿の人物画)の前で立ち止まった。「サドは若くして軍人としての道を歩み始めます」と司書は言う。「七年戦争の時代、彼は騎兵連隊の将校として、実際に戦場に立ちました」
私は、この軍人としての経験が、後の作家サドに、どのような影響を与えたのだろうかと尋ねた。
「戦場という場所は、人間の生と死が、極めて直接的な形で剥き出しになる空間です。理性や道徳といった、平時には堅固に見える規範が、戦場という極限状況の中では、いとも簡単に揺らいでしまう。この経験は、後年、彼が作品の中で繰り返し描くことになる『理性の限界』という主題の、一つの原体験だったのではないかと、私は推測しています」司書は肖像画をじっと見つめた。「もちろん、これは推測の域を出ません。戦場での具体的な体験について、サド自身が詳しく書き残したものは、ほとんど残されていないからです。ただ、若くして生と死の境界線に立ち会った経験が、人間という存在への、ある種の醒めた視線を、彼の中に育んだであろうことは、想像に難くありません」
私は、軍人としての彼の評価についても尋ねてみた。
「記録によれば、彼は決して無能な軍人ではなかったようです。むしろ、真面目に勤務をこなす将校であったという証言も残っています。この事実は、後世に流布した『生まれながらの放蕩者』という、単純化されたサド像とは、やや異なる姿を示しています」
私は、除隊後の彼が、どのような生活に入っていったのかを、さらに尋ねてみた。
「戦争が終結すると、多くの貴族の子弟と同様に、彼もまた、パリの社交界へと戻っていきます。軍務という緊張と規律に満ちた日々から、享楽的な都市生活への急激な転換は、彼の内面に、ある種の落差を生み出したのかもしれません。戦場で培われた、生と死への醒めた視線と、平時の社交界における空虚な享楽との間の隔たりが、彼をして、より極端な刺激を求めさせる一因になったのではないかとも、私は考えています」
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ここまでお読みいただき、ありがとうございます。ここまでの無料パートでは、サドという人物が、いったいどのような環境に生まれ、どのような青年期を過ごしたのかを追ってきました。由緒ある貴族の家に生まれ、王家に連なる環境の中で育ち、やがて軍人となる。七年戦争の時代には騎兵連隊の将校として戦場にも立った。つまり、私たちが後世から「マルキ・ド・サド」という名前を見たときに最初から抱いてしまいがちな、あの巨大な「怪物」のイメージとは、少し違った一人の青年が、そこには存在していたわけです。しかし、サドの人生が本当に大きく動き始めるのは、ここからです。
結婚。
相次ぐ醜聞。
貴族社会との衝突。
そして、彼を長期間にわたって追い続けることになる、妻の実家との深刻な対立。
やがて彼は、ヴァンセンヌやバスティーユという、当時のフランスを象徴する牢獄へと送られていきます。そして皮肉なことに、自由を奪われたその場所こそが、「作家サド」が巨大な文学世界を生み出していく舞台になっていきます。前夜に扱った『ソドムの百二十日』もまた、その獄中生活と切り離して語ることのできない作品です。ここから先は、
「なぜサドは獄中で書いたのか」
「長い幽閉生活は、彼の思想と文学に何をもたらしたのか」
「現実に生きたサドと、文学作品の中に現れる“サド的世界”は、本当に同じものなのか」
という、今回のテーマの核心へと踏み込んでいきます。
さらに、フランス革命という巨大な歴史的転換点の中で、サド自身がどのような立場に置かれ、旧体制と新体制の双方との関係をどのように変化させていったのか。最後にはもう一度、最初の問いへと戻ります。
「マルキ・ド・サドという怪物は、本当に怪物だったのか?」あるいは、私たちが「怪物」と呼んでいるものの奥には、獄中で孤独に文字を書き続けた、別の一人の人間がいたのではないか。肖像画の表面に残された「怪物」の顔ではなく、その額縁の奥に隠された一人の男の生涯を、ここからさらに辿っていきます。
世界禁書図書館の回廊は、まだ終わりません。ここから先は、サドという男の人生が、文学そのものへと変貌していく場所です。
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マルキ・ド・サドという怪物:第一部『ソドムの百二十日』EP.01(外伝第73夜)
2026-09-16up
■なぜ司書は、深夜二時に語り始めるのか
初めてこの物語に触れる方のために、少しだけ前置きをしたい。この世界のどこか、詳しい場所は誰も知らない。古びた洋館の地下三階に、「世界禁書図書館」と呼ばれる書庫があある。そこには、時代や社会の都合によって、表舞台から遠ざけられてきた本たちが、静かに眠っている。禁じられた恋の物語、退廃を描いた小説、倒錯を扱った古い医学書。誰にも読まれることのないまま、埃をかぶって朽ちていくはずだった本たちばかりだ。この書庫には、一人の司書がいる。名前は明かされていない。年齢も、素性も、多くは語られていない。分かっているのは、彼女がこの膨大な禁書のすべてを把握し、それぞれの本が生まれた時代背景や、その本が辿ってきた数奇な運命を、驚くほど深く理解しているということだけだ。彼女がどのようにしてこの図書館の番人となったのか、その経緯もまた、多くを語られることのない謎の一つだろう。
なぜ、いつも深夜二時なのか。司書はかつて、こう語った。「昼の光の下では、人は本を、社会的な評価という物差しでしか見られません。けれど、深夜二時という、誰もが寝静まった時間には、その物差しを一度、脇に置くことができるのです。禁じられた本と向き合うには、禁じられた時間が必要なのですよ」と。さらに司書は、こうも付け加えた。「地下三階という場所にも、意味があります。地上から遠く離れ、日常の喧騒がまったく届かない深さまで降りてくることによって、人は初めて、世間的な評価や偏見という、目に見えない重さから、自由になれるのです。この書庫の静けさは、単なる物理的な静けさではありません。むしろ、判断を急がず、じっくりと本と向き合うための、心の静けさそのものなのです」
この物語の語り手である私は、ある夜、ふとしたきっかけでこの図書館に迷い込み、それ以来、夜な夜な司書のもとを訪れては、一冊の本について、語り合う客人となった。読者の皆様も、どうか私の隣に座るような気持ちで、司書の語りに耳を傾けてみて欲しい。専門的な知識がなくとも、心配はいらない。司書は、いつも、初めてその本に触れる人にも分かるよう、一歩ずつ、丁寧に語りを進めてくれる。これまで二十夜にわたり、私たちはレオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホという作家の一冊の物語を、丁寧に読み解いてきた。そして今夜から、まったく新しい旅が始まる。今夜、司書が案内するのは、これまで一度も足を踏み入れたことのない、ひときわ重厚な扉の奥だった。この新しい旅がどれほど長いものになるか、あらかじめ少しだけお伝えしておこう。今回は、一人の作家の代表的な四つの作品を、それぞれ二十夜ずつかけて、じっくりと読み解いていくという、これまでにない規模の長期連載になる。一人の小説家を語り尽くすために八十夜を費やすというのは、この図書館の歴史の中でも、初めての試みだ。それだけ、これから向き合う対象が、私たちにとっては途方もなく大きな存在だ。長い旅路なるが、どうか最後までお付き合いいただければ幸いである。同じ「暴力」「性」「自由」といった主題が、四つの作品それぞれの中で、まったく異なる役割を演じていく様子を、これから少しずつお見せしていく。単調な繰り返しにはならないよう、司書自身も、毎夜、新しい切り口を探しながら、この長い旅に臨んむだろう。どうか、気負わず、肩の力を抜いて、この長い連載に付き合っていただければと願っている。前置きが少し長くなった。それでは、司書とともに、この重厚な扉の奥へと、足を踏み入れようではないか。
■深夜二時、鉄格子の意匠を持つ扉の前で
司書は今夜、その重厚な扉の前に、私を立たせた。扉には、鉄格子を模した意匠が彫り込まれている。まるで、牢獄の扉を、そのまま書架の入口に移し替えたかのようだった。
「今夜から、長い長い旅が始まります」と司書は静かに言った。「これまでとは、まったく別の、そしてはるかに巨大な存在と向き合うことになります」彼女は扉に手をかけた。「マルキ・ド・サド。この名前を、単なる悪名として知っている方は多いでしょう。けれど、この図書館では、彼を、安易に断罪することも、安易に擁護することもしません。ただ、彼が何を書き、なぜそれを書いたのかを、時代という文脈の中で、丁寧に読み解いていきたいのです」
扉がゆっくりと開いていく。
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創戯旅団 外伝第73夜
世界禁書図書館〜SM・退廃・倒錯文化研究〜
「マルキ・ド・サドという怪物」を読む
第一部『ソドムの百二十日』:「欲望を分類する」という狂気
episode.1
「なぜサドは『百二十日』を書いたのか」
※2026年09月16日22時11分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月16日21時33分【note有料投稿】
■第一章:石の部屋で生まれた巨大な構想
司書は、扉の奥にある、石造りの小部屋のような一角へと、私を導いた。窓のない、狭く、しかし奇妙に静謐な空間。壁に触れると、ひんやりとした石の冷たさが指先に伝わってくる。まるで、時間そのものが、この部屋の中だけ止まってしまったかのような、不思議な感覚に包まれた。
「1785年、サドはバスティーユの独房にいました」と司書は語り始めた。「政治犯としてではなく、素行に起因する幽閉です。長きにわたる監禁生活の中で、彼はある巨大な構想を練り始めます。それが『ソドムの百二十日』でした」
私は、なぜ独房という極限の環境が、これほど巨大な作品を生み出す土壌になり得たのかを尋ねた。司書は、狭い部屋の壁を、そっと撫でながら答えた。
「独房という場所は、身体の自由を完全に奪います。けれど、皮肉なことに、思考の自由だけは、誰にも奪うことができません。むしろ、外界からの刺激が完全に遮断されたとき、人間の想像力は、内側へ内側へと、恐ろしいほど深く潜っていくことがあるのです。サドにとってバスティーユは、身体を閉じ込める牢獄であると同時に、精神を極限まで自由にする、奇妙な実験室でもあったのでしょう」司書は、手元の古い記録に目を落とした。「彼はこの作品を、極めて小さな文字で、細長い紙を貼り合わせた、長大な巻物のような原稿に書き記したと伝えられています。獄中で紙も時間も限られていたからこそ、一字一句を無駄にできない、切実な執筆だったのだと考えられます」
私は、この巻物という執筆形式そのものにも、何か意味があるのだろうかと尋ねてみた。司書は少し目を細めた。
「面白いところに気づかれましたね。細長い紙を継ぎ足しながら書き続けるという行為は、物理的な制約への対処であると同時に、一つの構想を、途切れさせることなく、どこまでも書き連ねていくという、執筆そのものの姿勢を象徴しているようにも思えます。終わりの見えない欲望のカタログを、終わりの見えない一本の紙に書き記す。この符合は、決して偶然ではないのかもしれません」
私は、獄中での執筆という状況そのものが、作品にどのような影響を与えたのかを、もう少し尋ねてみた。司書は、静かに続けた。
「獄中の生活は、極めて単調で、変化に乏しいものでした。外界との接触を絶たれた人間にとって、時間の感覚そのものが、次第に曖昧になっていきます。そうした環境の中で、サドは、外の世界では決して許されない自由を、紙の上にだけ、際限なく広げていったのだと考えられます。皮肉なことに、身体の不自由が極まるほどに、想像力の奔放さもまた、極まっていったのかもしれません」
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今夜の「世界禁書図書館」は、ここからさらに深い場所へ降りていきます。
第一章では、1785年のバスティーユという閉ざされた空間で、なぜサドが『ソドムの百二十日』という巨大な構想を生み出したのか。そして、限られた紙を継ぎ足しながら書き続けた、その執筆環境と想像力について見てきました。
しかし、これはまだ入口に過ぎません。ここから先は、「1785年」という時代そのものが、サドの思想とどう結びついていたのか。そして、なぜサドは、人間の欲望を「分類し、記録する」という異様な構造にまで押し広げたのか。さらに、現実に存在したサドという人物と、文学の中に作られた「怪物としてのサド」は、本当に同じ存在なのか。この三つの問題へと踏み込んでいきます。
過激な作品だから面白い。それだけでは終わらせません。「なぜ、このような作品が18世紀のフランスで生まれたのか」その背景を、一冊の禁書だけではなく、時代・思想・文学・人間そのものという複数の視点から読み解いていきます。
ここから先は、世界禁書図書館の有料閲覧区域です。深夜二時。司書は、次の書架へと歩き始めます。
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8月度Ballondoll Award&横浜風俗大学レポート(第380夜)
2026-09-15up
早いもので2026年も3分の2が経過しました。相変わらずののんびり営業な気もしています。徐々にキャストさんが増えながら、じわじわと営業に活力が戻って行くのかと想定しながら活動しているんです。が!どうも、私の想像とはまるで別の方向にバズり始めているのではなかろうかと苦笑いしてます。全く興味ないんですよ。なのに、インフルエンサー稼業に近づきつつある現状に、『え〜、嘘だろ〜』と私が驚いています。記事を書いて欲しいと依頼まで来るようになりました。いろいろと調べたところ、私のインフルエンサーとしての価値は現在はミニマムクラスです。赤子程度の影響力という事ですね。5ヶ月で増やしたnoteフォロワーは3,500人ですが、10,000人まで持っていかないと収支は出始めないらしいですよ。Xでもともとは30,000人まではフォロワーを増やした実績はあるんです。その時もインフルエンサーになる事なんか考えていませんでした。余裕でインフルエンサーになる為の最低フォロワー数はクリアしていたんですけれど、SNSの使い方が下手だったなと、かなり後悔してます。まあセンシティブ判定喰らったり、垢BANされたりと、Xとの相性はあまりよろしく無かったですからね。アルゴリズム負けしていた自覚はあります。さらに最悪な相性だったのが、InstagramとFacebookでしたね。速攻で垢BANされてしまいました。一瞬でフォロワー4,000人まで増やしたのに、突然アカウントが封鎖されましたよ。しばらくはnoteで地道にコンテンツを作成します。それでは、今月も『Ballondoll
Award』の中間発表から見て行きましょう。
SM奇譚
創戯旅団 第380夜 8月度Ballondoll Award&横浜風俗大学レポート
※2026年09月16日00時33分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月15日23時59分【NOTE無料投稿】
【Ballondoll Award 中間発表
8月31日営業終了時】
『★
Ballondoll Award(最優秀キャスト)★』
1位
玲子(女王様)【所属/総合SM倶楽部 厚木エレガンス】
『★ Best
Newcomer Award(新人賞) ★』
該当車無し
『★ Top
Shop Award(最優秀店舗)★』
1位
総合SM倶楽部 厚木エレガンス
『★Best
Course Award(最優秀コース)★』
1位
Mコース(総合SM倶楽部 厚木エレガンス)
全く順位に変動はありません。数字が動いてないのではなくて、徐々に差が出始めた結果です。キャストさんの玲子さんは、対戦相手が現段階では不在なので、ル・マン24時間耐久自動車レースでトヨタが初優勝した時と同じで、翌年以降の指標を作る意味合いなのだろうと考えています。自分自身との孤独な戦いなだけあって逆に大変だと思います。しかし、複数の選択肢がある店舗とコースに関しては、どんな成績になるかが私も非常に興味がありました。エレガンスとMコースが抜きん出てくるのは想像出来ていました。数字を作っている玲子さんの最強コンボだからです。まあ、今年のBallondollグループの中では、一番面白い遊び方だよねと納得出来ます。今は、今後にどんな表彰を追加して行くかを試行錯誤している最中です。年に一回の祭典を万人が楽しめる様に、どう演出するか頭を悩ましています。いきなり初年度からブラッシュアップする必要があるのか、二年目以降に味付けをした方が最適解なのかは、もう少し吟味しようと思っています。冒頭にインフルエンサーの話題を突然ぶっ込んだのは意図的です。私がインフルエンサーになっても、クソ面白くないと思っているんですね。インフルエンサーが誕生する土壌を作るのが私の役割で、実際にインフルエンサーになるのは、第三期以降に活躍する女王様とM女さんであれば良いだろうと企画しています。なので、この先にウチで働くキャストさんの中から有名人が爆誕する可能性まであるよなと思っています。私はただのオモシロ叔父さんの立ち位置で満足してます。知名度を上げて活躍する役割は、若い女性達であれば良いのだと思います。お客様も読者様も視聴者様も、若手の有望株が頭角を表すのを待ち望んでいるでしょう。私も同じ気持ちです。キャスト募集も強化しますので、新たな展開があるでしょう。まだまだ発表する事も多いですからね。今年はプラットフォーム建設元年だと思っています。それでもプレオープンさせてしまう無謀な戦略を実行してるのでしょう。それでは、『横浜風俗大学』の中間発表もご覧下さい。
【2026年09月15日現在
横浜風俗大学在校生】
SMクラブ学部女王様学科
0名
SMクラブ学科M女学科
2名
ファッションヘルス学部デリヘル嬢学科
2名
お客様学部M男学科
3名
お客様学部ご主人様学科
4名
お客様学部変態学科
1名
合計
12名
まあ、オープンキャンパスイベントを開催したりと活発に動きがありましたので、地味に学生さんが増えています。まだまだブラッシュアップをこれからもかけて行きます。例えば、講義の内容ですが、風俗の授業を購入したのに心理学の授業になっていると感じた方が大半だと思うんですね。それはわざとです。しっかりした教材を作るには最初にエロを絡めてしまうと、教科書の作成が出来ないからです。教本制作を生成AIに拒否されて暗礁に乗り上げます。私と玲子さんが風俗的要素を追加しますので、各講義は今が完成形ではありません。内容を読んで、これくらいの事は分かっていると思われた方が大半だろうと思います。しかし、それは分かっている風であって、根本的な理解には至っていないと思います。全ての講義には、この先に奥行きが存在します。そこの解説はまだ挿入していないという事です。だから、現段階では100円〜500円の超特価で購入出来る価格設定にしたんです。実際に講義が完成したら1,000円以上の価値は出てくるだろうと考えています。誰も気づいていない奥の深さをこれから体験して貰おうというのが『横浜風俗大学』の本当の趣旨になっています。今は、本当にお買い得だと思います。受けたい講義は全て100円で受講出来ますので、皆さんも最安値で講義を取得しておいて下さい。100円で購入した講義が、この先にパワーアップして行きます。今は骨組みしか見せていません。何をしているかを分かりづらくしているという事です。いきなり全速力で走るとトレースしようとする人が出てくるのも分かっていたので、ミスリードさせる戦略だったんです。よってこの先にある武器は隠して教本を作っています。ちなみに、技術至上主義ではありませんからね。感情ビジネスと関係値ビジネスの難しさを学んでいけますので、デリヘルや箱ヘルやピンサロで働いているキャストさんや、お客様にも役に立つ教本制作を意識してます。想像以上に本格的な教本制作に着手してます。現段階では物足りなさはあるかも知れませんが、価値ある教材に大化けすると思います。要チェックですよ。初年度は20人くらいの学生さんが参加して下さったら御の字かと考えてます。半年経たないうちに12人まで増えているので、目標値には到達しています。目標値を上方修正出来るように頑張ってプラットフォーム作りに邁進します。
冒頭でも触れていますが、お店は生き物だと思うんです。だから、私の思惑とは関係のない成長をしていくんだろうと見ています。私のエゴやお金儲けは完全に捨て去る事が大切だろうと思います。厚木エレガンスとグランブルー厚木だけでも、今までいたキャストさんやお客様の想いが15年分積まれてます。そこに営業実績20年のアイスタイルと営業実績30年のマニアックの想いまで、同時に背負う事になったじゃないですか。老舗店の歴史の重みに対するプレッシャーはありますよ。いい加減な事は出来ません。両方のお店の経営者、スタッフさん、キャストさん、お客様の大切な想い出が詰まっているじゃないですか。歴史は軽く無いのだと思うようにしています。それが時代背景やお店の歴史を尊重するという事ではないかと考えさせられます。何事にも文脈が存在するから面白いのだろうと思いませんか?だから、私はnoteをログにして活動する事を決めたんです。『SM奇譚
創戯旅団』を1,001夜物語にしたのは適当な判断ではありません。まず本家のアラビアン・ナイトの解説をしましょう。
【アラビアン・ナイト:全体の枠組みとあらすじ】
王の悲劇と残虐な行為:ペルシアの王シャハリヤールは、妻の不貞に絶望して女性不信に陥り、毎夜新しい妻をめとっては翌朝に処刑する残酷な日々を送っていました。
シェヘラザードの決意:大臣の賢い娘シェヘラザードは、犠牲者を減らすために自ら進んで王の妻となります。
命がけの語り聞かせ:彼女は毎夜、王に面白い物語を語り聞かせます。夜明けの最も盛り上がる場面で「続きはまた明日の夜に」と話を中断し、自分の処刑を先延ばしにさせました。
夜の果てに:この語りが1000夜(千夜一夜)続き、その間に王はシェヘラザードの知性と愛情に気づき、心を改め、彼女を本当の妃として迎えました。
代表的な収録作品『アラジンの魔法のランプ』や『アリババと四十人の盗賊』、『シンドバッドの冒険』などが特に有名ですが、これらは後世の翻訳や追加によって組み込まれたエピソードも多く含まれています。詳細な背景については千夜一夜物語の解説なども参考にしてみてください。
私を大臣の娘シェヘラザードに見立てて、語るネタが尽きてしまったら、エレガンスとマニアックとアイスタイルが処刑される。強烈にシビアな物語を作り込んでいます。エレガンスの1,001夜物語を創作する事によって、お店がなんとか延命する過酷な物語を書いています。なので、全て実話で構成されています。退屈だろうと小難しかろうと女王様ディスりだろうと、全てが実話。そうしなければ、読み聞かす相手の心を打つ事なんて、絶対に出来ないだろうと真剣に思ったからのノンフィクション千一夜物語です。死に物狂いで、事実の文字起こしを行なってます。不幸中の幸いだったのが15年間の営業が強烈にネタの宝庫だった事。派手な立ち回りなんか、一切してませんよ。地味に生きてました。が!カスとクズとクソには恵まれてきたのかも知れません。不幸中の極め付けの不幸だったかは置いといて、1,001夜じゃ全然足りないんですよ。困った事に不幸話は上書きされて行きます。書いても書いてもネタが尽きる事はありません。おかしな話ですよね。私の身の回りだけが戦時中でもないのに焼け野原になっている気がします。誇張しているのではなく、謙遜して大人しい表現に抑えている可能性が大です。要は生き延びている事が奇跡だと思われます。普通の感覚を持っている経営者ならば、このお店はとっくに店仕舞いしているのだと思います。誰がやったって同じ結論にしか辿りつかない筈です。私の頭がおかしいから、やりきれてしまっているだけの話なんだろうと、冷静に分析しているんですね。であるならば、事実を書いている方が、物語を創作するよりもカオスなんですよ。それは、皆さんがこれから判断すれば良い事だと思います。誰が読んでも、自分ならお店を見切るだろうと結論づける筈です。損切りするのがあたり前なのに、損切りしないで暴走しているのは基地外の所業じゃないですか。正しい事をしているつもりはありません。『これって悪い見本なんじゃね』と自覚出来てます。が!お店が残ってしまった事だけは事実です。物語は継続中なんです。徐々に過激さを増しながら読み物として成立してるのだけは、このコラムが証明しているでしょう。来月の中間報告では果たして何が起こるのかを、楽しみに待ちましょう。奇跡のインフルエンサー爆誕を実現させたいところですね。
SM奇譚 創戯旅団 第378夜&第379夜
2026-09-14up
SMクラブのプレイであまりよろしくないと思われるのが女性も男性も我慢してしまう事です。これは、心がけの中で大事な事ですが、良い人間関係を保つためには、相手の嫌がる行為をやるのは絶対にご法度です。ましてや相手は赤の他人だという事を理解しておきましょう。無理しているのを察知しているのにプレーを継続する事は、人として礼儀に欠ける行為です。それだけ済まない場合もあります。M側が無理をしていた場合に万が一の事故に発展してしまっては取り返しのつかない事になります。SMプレイは危険と紙一重だと自覚した中で細心の注意を払う必要があります。責任ある行動を心がけて下さい。欲望剥き出しの知性の欠片も思いやりも無いプレイは、赤の他人同士のプレイではリスクが高すぎます。SもMも同じ感覚で相手に敬意を持った中でSMプレイを行って下さい。紳士淑女の気高い心意気を持たなければ、それは獣と変わりません。BDSMはあくまでSMごっこであり支配と服従の究極系では無い事をはっきりと自覚して下さい。
SM奇譚
創戯旅団 第378夜 我慢比べ
※2026年09月13日10時33分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月13日08時44分【note無料投稿】
教科書に載せる模範解答の様なオープニングでしたが、今回のお題は全く真逆です。私達お店サイドもお客様も、我慢しすぎて失敗した話です。今になって思うとやらかしてたなと苦笑いしか出てきません。第一期初期は珍しい事に女王様よりM女の方が多い時期が一瞬あったんです。厚木エレガンスは女王様の在籍の方が多かった時期が長いお店です。それでも立ち上げ当初はM女さんが主力だった時期があり、ご主人様が多く遊びに来てました。その中に『ハード鞭のTさん』と呼ばれる常連客が居ました。嫌がるM女に容赦無くハード鞭を振るう性癖を持つ変わり者です。問題だったのは嫌がっているM女さんを見るのが楽しみだった事です。要は相手が本気で嫌がっているのか、我慢出来ているのかの区別が残念ながら付く人では無かったのです。私達お店側もまだ限度を良く理解していなかった時期だったのもよろしくなかったんです。ハード鞭のTさんの鞭をどこまで我慢出来るかなんて、我慢比べや根性試しの感覚で接客してしまいました。冷静に考えてみて下さい。鞭の傷跡が1週間も残るくらいの力任せの鞭打ちは、お店とM女さんから見れば大迷惑な行為です。オプションではありません。基本プレイに入っているソフトな鞭打ちですよ。当時はSコースがハードSとソフトSに分かれてませんでした。SMクラブファンなら普通に常識ある人ならば、基本プレイでハード鞭をやったらキャストさんに嫌われる事くらいは理解出来ないと駄目ですよね。空気が読めない人なのか、加減を知らない人なのか、性格が悪い人なのかまでは分かりませんが、容認出来る話ではありません。S側の人間は自分勝手なんですよ。人の気持ちを全く理解出来ない人が多いのが困りもんです。いつか必ず破綻しますからね。その程度の深読みは余裕で出来る思慮深い人間になりましょう。ところがお店側もキャストさんも『耐えてきたよ』『頑張ったね!お疲れ様!』なんて軽く済ませてしまいました。Tさんのハード鞭を受けて耐え凌いで帰ってきたら真性M女レベルだね!なんて尺度を語っていたのは大きな間違いです。誰も、『あんなハード鞭は我慢ならん!』というM女さんが出てきた時の事までは考えていませんでした。TさんもTさんで、次から次へと新しいM女さんを呼んでいた事が命取りになりました。過去にハード鞭を耐え抜いたM女さんを指名にしていれば大問題に発展する事はありませんでしたからね。私達運営側も様々なケースを経験した後ならば、無防備ではなかったでしょう。その頃はどんなトラブルが待ち構えているか想定しないまま営業していたのは愚かだったと思いますよ。イケイケでしたからね。突っ走ってました。そしてトラブルは突然やってきたのです。顔は美人で太っているホス狂いのM女さんが居たのですが、ホス狂いで想像付くと思いますが、かなりのメンヘラさんでした。メンヘラさんだからM女さんをやれている事を計算に入れておかないといけませんでしたが、そこまでは想定していませんでした。ある時、このM女さんをTさんが写真指名しました。プレイ開始から40分くらいでM女さんから『もう無理です!』と泣きながら電話がかかって来たんです。私は、何が起こったのか状況を把握する為に、直ぐに現場へ向かいました。ラブホテルの部屋へ入るとM女さんは泣きじゃくりながら、『私、この人無理です!』としか言いません。TさんはTさんで俺悪くないし的な行動と言動をしています。『残念ながらTさんは詰んだな!』と私は解釈しました。返金しろとゴネて来たので『お金は半分返金しますが、今後は出入り禁止にします』とだけ言って、私はその場を納めました。相手のM女のレベルによって強弱を変える事の出来ない人だったという理由から、今後の出入りをお断りしました。どんな理由があろうとも、M女さんに嫌われるご主人様は、SMクラブでは歓迎されません。私はこの様なトラブルが起きた場合は、S男さんの出入りを禁止する事でその場を納めます。ほとんど例外無く、その措置でカタを付けますね。M女さんに辞められてしまうと商売としてマイナスになるのでビジネスライクな判断をします。Tさんも不運だったとしか言いようがありません。しかし、次から次へとキャストさんを変えては、自分の欲望を満たす為にハード鞭を振るってしまうと、どこかでこの事故を起こすのは間違いなかったのだと思います。それならば、問題点になっているTさんを取り除くしか無かったのです。真逆の措置をすると、当然キャストさんは居なくなります。SMクラブの営業で難しいのは匙加減です。問題が起きた時はS側を処分するしかなくなるんですよ。それしか対処が出来なかったんですよね。真逆は事故から事件へと発展する恐れまであるので、これは絶対なんですよ。なので、ズレが生じた場合には去って貰うのは問答無用でお客様(S側)になります。営業面の侘び寂びですね。ご主人様は、M女さんのレベルや趣向によって、自分のプレイに強弱をつけたり、性癖をセーブしたりする配慮が必要になります。なので、無理な時には危険信号を発して貰うボディランゲージを決めてからプレイに臨みます。ところが、まあ分かってないS男さんだらけですよ。M女さんはなんでも耐えてくれるスーパーウーマンだと勝手な思い込みをしています。言い訳は要らないんのですよ。問題が起こる前に自制する事を覚えて下さい。それが出来ないならSMクラブへは来ない方が良いと思います。例外無くです。S男さんだろうと女王様(S女さん)だろうとです。SMクラブの支配と服従は、服従側から支配権を委譲されて成立している遊戯です。服従側に『この人無理!』と拒絶されるのはかっこ悪いですよ。トラブルになった場合は、個人のSM論は全て無視しないと言い訳三昧で収拾がつかなくなります。SMクラブ側のトラブル対処の基準は簡略化されてますね。M側に不満を持たれるS側のプレイヤーはSMクラブでは邪魔者扱いされます。トラブルの素を呼び込む厄介者としてマークされる事になるんです。本人には自分が厄介者という自覚がないので、本当に面倒臭いですよ。少しは空気を読める様になって貰いたいのですが、サディストには難しいでしょうね。対処する側としては『またかよ!』としか思ってませんけどね。ざっくばらんな言葉でアドバイスしましょう。上手い事立ち回れなかった器量の無さがS側にあるので、問題が起きてから言い訳しても通用しません。手遅れです。耳にタコが出来るくらいに、M側への配慮を絶対に怠らないで、きっちり並走して下さいと釘を刺しているのです。お約束でやらかしてしまう自分勝手さは、かなり無神経ですよ。どうせ、『何でそこまれ言われなきゃいけないんだ』と恨言を言うところまで予測出来ます。言われて当然なんです。先に『SMごっこでしかありませんからね』と説明してます。本物の支配と服従はSMクラブにはありません。SMクラブでパートナーを務めるのは、ただの赤の他人だと認識するところからSMプレイの知識を学び直して下さい。『言い訳を考えなければならなくなるNG行動を取る人間にSMプレイをやる資格は無い!』以上です。簡単な事ですよ。『相手への敬意(リスペクト)を忘れない様に。人間として見下す様なマウントは絶対に取らない様に。プレイ中は常に気遣いを怠らずに、相手が発する無言の危険信号を見逃さない様に。SMクラブでの優先権は服従側にある基本を絶対に忘れてはならない事。』私はこの基本事項を事ある毎に説明しています。これだけを理解していればトラブルは起きようがないと言う事です。ところがプレイヤーの思い込みで、この基本は無視されます。もしくはやれているつもりになっていても、実際には何も基本が出来ていません。躓き、失敗、トラブルの大半は、今語った重要事項のスルーと見逃しにより起こっています。しかしS側は開き直って、自分の落ち度を認めようとは絶対にしません。結果として何が起こるかと言うと、S側は逃げ出すか追放される事件事故が勃発します。ウチは穏便な対処法を選択していると思います。黙って関係を終わらすだけにして、それ以上騒ぎ立てる事はしません。SMクラブからご主人様が居なくなるか、女王様が居なくなる事で平和が戻ります。SMクラブは未熟者が集う不完全なコミュニティーです。トラブル処理を黙々と済ませ穏便に事を収束させるのが、毎回のパターンでしたね。SMクラブが面倒臭い最大の要因です。SMクラブの運営は頭がおかしい人か、底抜けに優しい人じゃなければ務まらないでしょう。自分はやれていると思い込む場合と、何でもありのカオス状態にする場合も、かろうじて成立しますけれどね。中にはコミュニティーを絞り込んで、仲間内だけでルールを徹底させているSMクラブもあるでしょう。デリヘル、箱ヘル、ピンサロ、ソープランドの常識は一切通用しないのがSMクラブです。闇が深い界隈なんですよ。これが正解なんて模範解答のないトラブル多発区域です。それでも皆んなSMクラブをやり続けているのですから、この世界は不思議です。懐の深い人ばかりですよ。どんな生き残り方を果たしていようが、実績を作った事は評価されて良いと思っています。私はそう考えてありとあらゆるSMクラブをリスペクトする様にしました。気持ちを大きく持って、業界を愛する気持ちを持たないと無責任かなと思う様になりましたね。厚木エレガンス、マニアック、アイスタイルと老舗ブランドを稼働させるには先人をリスペクトするところから学びを始めないと、良いバランスでお店を維持出来ないじゃないですか。自分本位で考えるだけなら、何も老舗店を引き継ぐ必要は無かったでしょう。キャストさんもお客様も、何度も失敗しながらSMの極意に慣れて下さい。私でさえ、半分正解半分不正解から構造理解を学び始めています。しかも頭で理屈を整理出来ていても、実行に移せるかは別問題です。自分がやるとなると、心と身体が別の動きをしたり、パートナーの感覚にアジャスト出来なかったりと、問題は山積みされます。私は『SM奇譚
創戯旅団』でSMクラブの構造理解を文字にして、正解だったなと思っています。今でもトラブル対処は難しいですし、まるで生き物の様に正解まで移動してると感じます。SMクラブの難解さを、ありのままコラムに書き記す事で、私と読者様がSMクラブと向き合っていける設計は、面白い試みになっているなと感じています。毎回違う角度からSMクラブを分析して、構造を理解しましょう。それくらいに、新しい知識を取り入れなければいけない業界なんだなと、今では私自身が思わされています。私もまだまだ認識が足りないと感じます。想像以上に奥行きがある世界なんです。私もスタッフさんもキャストさんもお客様も、この世界に長く関わる事で理解を深める必要があるのでしょう。日々これ精進。
『精神と性癖のバランスが極端に悪いからサディスト、マゾヒストなのでは無いでしょうか?』と質問されると的確に返す言葉は見つからない。この先の未来もサディスト、マゾヒスト考察は続くのだろうし、そこに完全な答えが出される事は、実は永遠に無い。時代が移り変われば定義は少しずつ体型を変える。何度でも常識的見解は移り変わる。結果としてこの問題は答えが移動していく。サディストとマゾヒストは対極にある事象ではない。それぞれが単独の偏った構造と捉えている。住んでいる国家や時代背景によって、大衆的見解も哲学的理論も姿形を変えていく。日本ではSMとして括られ、まるで双極として語られる事も多いが、サディスト及びマゾヒストの本質を理解出来ているかは別問題だ。理解力には個人差があるので全員が同じ結論に到達する事もない。そして、日本のサディスト考察とマゾヒスト考察には、重大な欠陥がある。SMを語る上で避けて通れないのが性的交わりだ。どんな書物でも、どんなテレビ番組でも有識者が語る理論、あるいは哲学的考察の中に、日本の風営法とSMクラブが語られる事は一切無い。実は現代の日本人の3〜5割がSMプレイを体験したのがSMクラブだという真実は隠される。書物やテレビ番組で語られる内容は机上の空論でしかない。本来ある筈の真実は無かった事にされた上で語られるサディストとマゾヒストの考察は、偏った結論を導き出してしまう。ガリ勉集団の理論ではSMは語り尽くせない。それを番組や書物にしても、日本のSM文化の表面さえもかすっていないのだからお笑い草だ。それくらいにSMとは奥が深いし複雑怪奇な様相を施す。ガリ勉君が語るサディストマゾヒスト研究に面白みを感じる事は全く無い。私は風営法もSMクラブも熟知しているので、日本人が接しているサディストとマゾヒストの本質が別に存在している事を知っているからだ。この構造を理解出来ているのはSMクラブに関わる経営者、スタッフ君、キャストさん、お客様だけだ。そしてSMクラブが語られている書物に目を通す読者様だけだ。大前提として、この複雑怪奇な構造を意識した上で、ここから先の見解を語って行こうと思う。これはSMクラブを知るものだけが共有出来る日本のSM理論の欠片だ。
SM奇譚
創戯旅団 第379夜 サディストもマゾヒストも、なぜこうもバランスが悪い
※2026年09月14日15時44分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月14日15時11分【note無料投稿】
何故、書物やテレビ番組では、日本のSMには風営法とSMクラブが密接に関わっている事をスルーされているのか?ここには社会の歪みが深く関わる。日本人の中では、風俗、風営法、SMクラブというキーワードは隠して置きたい実社会の闇として処理される。日本人の大半には、見ない聞かない言わない世界として隠されてしまう。すると全てのサディストマゾヒスト哲学は片端の理論でしか無くなる。そもそもが風俗、風営法、SMクラブを知らない人間が語るサディストマゾヒスト哲学には真実味がない。3割〜5割以上のSM体験者がSMクラブを経由しているのであれば、SMクラブの実態をSM哲学の中に踏まえて語らないと理論は成立しない。『サディストマゾヒスト哲学は性癖を含まない』と、学者の反論が聞こえてきそうだが、所詮はダブルスタンダードだ。サドもマゾッホも性的作品を綴っているからだ。人間の欲望を素直に書き記したから、時代を超越した名作として後世の人々に影響を与えているのだ。危険思想と捉えられ禁書扱いにもなった。その本質には性の定義が必ず存在した。だから、ガリ勉君が学校で語る哲学ではないのだ。私が語る方が幾分か真実に沿った内容になるだろう。何が言いたいか?大学でサドやマゾッホを学んでも無意味じゃないか?彼ら、或いは彼女らに教えておこう。一度でもSMクラブで遊ぶか働いて見れば、現実は自分達が語っている世界観の中に無い事が分かる。戦争をした事もない人間に戦争を語らせるのと同じ事である。机上の空論に真実は存在しない。真実さえも存在しないのなら学校では教えるべきでは無い。テレビ番組で見解を述べるのも、みっともないのでお止めになられるべきだろう。『飛躍している』とでも反論したいのだろう?残念ながら、私達界隈の人間を舐めないで頂きたい。『あんた達よりは、遥かに真実に近い見解を我々は持っている。』しかし、マネタイズの題材として、これからも哲学者の金儲けに、SM哲学は利用されるであろう。視聴率稼ぎにテレビ番組にもなるであろう。我々SMクラブの関係者は、パンドラの箱を開けて、中身を覗いてしまった人間である事を知っておいて欲しい。私は答えの見つからない性的欲求を死ぬまで追求していたい。それは楽しい人生なのだが、考えすぎ注意、やりすぎ注意だ。私は一心不乱にSM考察を続けているが、答えが見つからないまま、1,001夜物語のゴールに到達してしまうだろうと予測している。私の辞書にほどほどは無い。突き詰めたい欲求よりも、突き抜けてしまう人間性が大問題だ。誰も私を救えないだろう。私がパンドラの箱を全て開けまくって見てくるので、皆さんは文章で『そんな感じなのか!?』と楽しめば、それで良いではないか。SMクラブにお忍びで通ってSMを楽しめば良いのだ。その横でボロ雑巾になった私が『よかよか』と柔かに笑っている事であろう。私もまた、バランスが悪い人間の典型例だ。だからこそ面白い。もう引き返す事は出来ない。私は自分の事を、精神のバランスが悪過ぎるマゾヒストの悪い例だと思っている。私にしか見てこれない世界があるのであれば、本当に見てこようと思う。私の本音だ。マル・キ・ド・サドの作風が終生変わる事が無かったのは理解出来る。抑圧された欲望は、心の中で爆発する。爆発した時点で、実は引き返す事が出来なくなる。これは同じ経験をしている人間でなければ理解出来ないであろう。偏ってはいるが、卑下されたり馬鹿にされる事では無い。誰もが生きる事に真剣なのだ。バランスの良い自分と見比べてマウントを取る行為は愚かだと考えた方が良い。これは大前提。サディスト、マゾヒストを馬鹿にするなよという話だ。マル・キ・ド・サドは犯罪人として長く獄中にいたが、犯罪者であると同時に、作家として非凡だった。その文才は認めざるを得ない。私なんかSMクラブに関わっている人間なのだから無関係では無い。サドに影響を受けた職業に携わっている。本人に自覚があったとは思えないが、マル・キ・ド・サドが後世に与えてしまった影響下の下に生息しているのが私だ。こうも考える事が出来る。300年後の日本に風営法とSMクラブが残っていたとしよう。私は先人の一人として語られる事になる。私に才能があるとは一言も言っていない。ログを残してしまったので、幸か不幸か文献が残ってしまうだけだと話している。同時にこれも記しておこう。全ての現代日本のSMクラブの文献の中で一番正しい事を言っているのが私かも知れないと、皆さんは分かっているのだろうか?『法律違反はするなよ。軽犯罪でも犯罪に変わりはないぞ』と誰も教えていない事が大問題だと、私は指摘しているのだ。その大義名分を分かっていて黙殺してしまった業界人が大半だった事を証明している。黙殺した理由が歪んでいる。お金にならなし、黙殺した方が共感を得られると、裏では金勘定しているからだ。そんな人達には、警察署の中で、『SMプレイでセックスをする時に、どんなパターンだと犯罪になるか分かるか?』と聞いてみたいところだ。全員が正解を答える筈だ。『風俗でSMプレイをした時と、金銭の授受が発生したSMプレイの中でセックスをする事は犯罪です。』とちゃんと答えるだろ。典型的なダブルスタンダードだ。理屈は分かっていても、都合の悪い時は黙殺してしまおうと考えている。であるならば、本当に私は確信を付いているではないか。何度でも言おう。『わ・た・し・だ・け・が』だ。全ての風俗店と全ての風俗ポータルサイトが、『風俗店でセックスする事は犯罪です。皆様には固く本番行為をしない事をお願い申し上げます。発覚した場合は、お客様の出入りを禁止させて頂きます。また、当該キャストも解雇します。』とでも宣言させないと誰も規則を守らないだろう。それが人の欲望であり射幸心だ。分かっていても守れない悲しい性が人にはある。残念ながら抑えが効かないという点においては、本番厠はサディスト、マゾヒストと変わらないほどに抑えが効いていない。否定した人間には真顔で、『どの口が言ってるんですか?』と柔かに嫌味を言ってやろう。私はマゾヒストである事を恥じてはいない。誇る事では無いが、変えようの無い性癖であり、自分の身体の中に染み付いた感覚だ。それが自分なのだから、それでいいじゃないか。全くやれやれだ。文章を書くという事は自分を主張する事だ。こうやってSMやSMクラブを表現している事は、私の人生の中でも楽しい時間を過ごしている。出来る事ならば、その楽しい時間をSMクラブの発展に利用出来れば、私の文章も少しは役に立つだろう。性格、性癖の偏りに苦しんでいる人間は、全世界に何億といる。実はこれは凄い事だ。コロナウイルスよりも人間にとって大事なのだ。しかも不治の病だ。致死力は無いが、精神病になるまで思い悩むと自死や殺人に発展する。しかもサディスト、マゾヒストになるまでに突き抜けてしまうともう戻る事は出来ない。私の文章が、世界で思い悩んでいる人々の処方箋になれば良いと、本気で思っている。少しでも悩みを軽減出来れば良いと願っている。『直す事は出来ないが、寄り添う事は出来る。』精神科医が精神病を直せるなんて詭弁だと、私は本気で思っている。結局はマネタイズの道具に、こちらの病が巧妙に使われて終わりだと思う。なら『直りませんが、誠心誠意寄り添わせて頂きます。』と宣言する方が、まだ人間らしいと思ってしまうのは、私だけだろうか?同じ事を考えた人は必ず居ると思う。ここまで話せば、この定義を理解して貰えると信じている。『マル・キ・ド・サドもサッヘル=マゾッホも狂人では無い。人の欲望を文献にしたためる天才だった。その才能に人生を振り切った作家だった。であるならば、評価されて当然であり、軽蔑される存在になってしまう事も仕方がない。彼らは、サディストもマゾヒストも直せなかったのだ。そもそもが、病気とは考えていないのだから、直す必要性が無い。殺人を犯さなかったのは、せめてもの救いだ。最後の最後の一線は超えてないじゃないか。ちゃんと理性は働いている。この先も彼らを崇める人は後を断たないだろう。イエス・キリストの行いは巧妙に後世の歴史家に書き換えられた伝記だ。サドとマゾッホが書いた書物は書き換えられてはいない。禁書として世の中から隔離されていただけだ。ありのままの思想が保存されるから書物というログは重要なのだ。文才がある事よりも、事実が書き換えられずに残っている事には意味がある。私達のSMコミュニティーも後世に残されて行く筈だ。『SM奇譚
創戯旅団』は、SMクラブと真摯に向き合っている書物だ。SMクラブは風俗店なのだが、限度を知らないサディストとマゾヒストが集結するコミュニティーとして存在している。ただの風俗店として位置付ける人が大半だろうが、中には私の様な変わり者も居て、風俗店としての側面以上の趣を見出そうとする人間まで出てくる。だから、SMクラブは専門誌になるし、専門サイトになるし、映画にもなれば、小説にもなる。文脈が豊富であり、センシティブでマジカルなクラブなのだ。最後まで余談だがセンシティブでマジカルなスロットが出るらしい。私も笑ってしまった。その変化球は大いにありだろう。私もセンシティブでマジカルな手法を肖りたいものだ。バランスを崩しながらも、怯まずに突き抜けてしまう人達のコミュニティーだからドラマが生まれるのだ。言い過ぎでは無い。時代にアジャストして、きっちりとこの世界は継承されて行く。必要とされる。私のコミュニティーも次世代の若者達にバトンを渡さねばと考えている。
女王様が『サービス地雷』を超越してしまった時の対処法(創戯旅団 第377夜)
2026-09-12up
負けず嫌いな性格というのも困ったものです。私は『SM奇譚
創戯旅団』の第1夜からブレずに何かしら抑圧されている自分の境遇に反発してますよね。その姿勢を絶対に崩さない事が大切なんだろうと思っています。果たして反発力を原動力として生きるのはマゾヒストなのか?弱い立場の人間と共に戦いながら人生を全うしたいと考えるのが、私は大好きなのだと思います。サディストでは無いのに、戦う事を止めません。不利な戦いを強いられても、負けない粘り強さが欲しいんです。献身的な姿勢を根本に持っているので、自分勝手ではありません。お山の大将になる事は好きでは無いんですよ。本当は軍師や丞相として携わっているのが心地よいタイプの人間でなんでしょうね。しかし、何事も投げ出す事が大嫌いな私の性格が運命を変えてしまいます。周りの人間が居なくなっても戦う事を止めなかったので、私がトップになるしかなかったんです。新しいトップを探してくるのもありだったのですが、その前に戦いは始まってます。戦いへの対処をしなければならないまま、今に至ったかと苦笑いをするしかない状況です。損切り出来ない性格なんでしょうね。損失が出ているならば、何が何でも自分の力で突破口を切り開くしか無いと考えて踏ん張ってしまいます。弱い立場だからと言って考え方を変えるのは好きではありません。自分の主義主張を初志貫徹して、ブレずに弱い立場の人間を守り続けています。
SM奇譚
創戯旅団 第377夜 女王様が『サービス地雷』を超越してしまった時の対処法
※2026年09月12日20時11分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月12日19時33分【note無料投稿】
上手くは回ってないと不満と不安を抱えている風俗嬢は、こちらの想像以上に沢山居るんだと思います。そんな時に、何を守ってあげる事が風俗店としての正しい行いだと思いますか?私は経営の基本をここに定める事にしました。お金を稼ぐ事に本線を置かなかった経営者は珍しいと思います。私の利益をキャストさんに付けてでも、弱い立場のキャストさんを守ろうとしました。それとは逆に、お給料を7割バックで貰う事を当然の権利とでも言いたそうな、世の中を舐めたキャストさんに不快感を向ける事を隠しもしませんでした。お店に対するリスペクトを持たず、協力的な姿勢を持たない自分勝手な人間を仲間だと思う事は一切拒否しました。7割バックのお給料を払う以上は、お店側に何かをやって貰おうなんて甘えた考えでいるキャストさんは、問答無用で全員切り捨てました。すると不思議なもので自立心の強い筈の女王様が真っ先に切り捨てられたんです。自分がお山の大将になりたいのに、お店に全てやって貰わないと何も出来ない、甘ったれた人間が多かったのが女王様でした。これは面白いデータだったと思います。女王様の自分勝手な思惑はあっさり捲れた証明でしょう。私がサービス地雷の女王様をばっさりと切り捨てるのは、そんな理由からでした。ブラッシュアップする気持ちを全く持たない人間に接客業は務まらないと、風俗嬢に対してかなり高いハードルを設定したのです。すると諦める人が続出しました。『それも仕方ないね!』と冷ややかに見てました。女王様をやりたかった理由が、自分が風俗のサービスをやりたくないからです。風俗をクソ舐めた考え方で女王様をやっても、結果は無惨な惨敗以外の選択肢はありませんでした。お金をお客様から頂いて良いクオリティでは無かったのです。サービス出来ないのに風俗で高いお金が欲しいと考えるのは、駄目な人間の考え方だと思いませんか?女王様の7割以上がこの範囲内に生息しているので、無能が捲れた時点で逃げる事しか出来なかったんです。その後は最終的に『穴貸ししかやれる事が無かった。』に行き着いてしまいます。芸を磨く事は一切出来なかった実力不足は否めません。女王様の仕事は、職務を芸事に変換出来ない想像力が欠如している女性に務まる世界ではありませんでした。女王様の技術を少しだけ覚ええる程度では、M男さんに支持される事はありませんでした。M男さんの気持ちに寄り添いながら、女王様側がイニシアチブを持ってリードするのは、大変な作業です。しかし残念ながら、M男さんに支配権を委譲して貰って成立している構造を理解出来ないレベルの発想力しかありません。要は自分が好き勝手したいだけの女性です。それでは商売として成立す事は絶対にありません。人気が出ないどころか、嫌われてしまうので、女王様の仕事をする資格が無い人達です。その範囲に7割もの女王様が該当しているから闇深い世界なんです。私は女王様の歪な構図にアンチテーゼを投げ続ける経営者になりました。風俗業をリスペクトしているので、風俗のプレイを手を抜こうとする女性は嫌いでした。それSMクラブの経営論として大正解なんですよ。厚木エレガンスが人気あった時期は、女王様が全員M女もやっていた時期だけだったのがその証明です。女王様しか出来ないキャストさんが入店すると、お店の勢いが途端に無くなります。女王様しか出来ないサービス地雷のキャストさんは、お店が売ってくれないからと逆恨みします。先に本人には伝えてありますよ。バック率を7割渡すので、仕事は全部自分でやって下さいと。しかし出来なかった。ただそれだけの事を理解する気がなかっただけでしょう。世の中にはMな性格や性癖の人は多いのですが、完全体のM男さんではありません。その現実を直視出来ないから痛い人達なんですよ。全員がM男さんだと思い込んでいる、可哀想な脳の持ち主です。そのまんま結果に反映されているだけですよ。大半の女王様はいくつかのSMクラブで働いて上手く結果を出せずに、デリヘルかソープランドに戻るだけの人達です。SMクラブに長くは在籍出来ないでしょう。肝腎要のM男さんから嫌われてしまっているのでは、才能はありません。無能です。サービス地雷の本当の姿です。『私はサービス地雷で不利な立場だから、代わりにM男さんが好きなプレイを徹底的にやってあげなきゃ!』なんて思っている謙虚な女王様はほとんど居ません。皆んな『M男なんだから女王様に合わせろよ!』とクソ舐めた事を考えています。捲れてますよ。思惑バレてますよ。私は『M男様がやりたい事を徹底的にやってあげて下さい。自分のやりたい事はお客様は求めてないですよ!』とだけ教えましたよね。そんな簡単な事が理解出来なかったんですよね。やる気もない。『女王様終わり』が確定しているだけです。どのルートを経由しても最終地点は、『女王様終わり』になるだけです。『風俗をクソ舐めてるから。』そんな事になるんですよ。サービス地雷を解消出来ないのならば、速やかに風俗業界を引退しましょう。お客様が無駄金を使わない様に、私も徹底的に監視します。しかし、それでも厚木エレガンスは女王様を募集します。今の私の解説から一つの仮説を立てる事が出来ますからね。『風俗のプレイを出来るサービス地雷では無いキャストさんが、女王様をやれば良いだけの話なんじゃね!』問題です。実はたったこれだけで女王様は爆発的に人気が出ます。痴女でもバズります。するとこう考えれば美味しい思いを出来ると思います。普通のデリヘル嬢が3〜5名ほどタッグを組んで女王様兼痴女兼デリヘル嬢をやれば、サービス地雷の女王様では勝つ事は絶対に出来ません。このポジションを意識して狙ってれば、M男さんからの支持は絶大になるでしょう。レジェンド級のS女に化ける筈ですよ。これが私が考える『SMクラブで生き残れるS女さん育成計画』です。理に叶っていると思いませんか?なので、次の一言だけは言うのを止めておきましょう。『デリヘルはやりたく無い!痴女もやりたく無い!』これを言い始めた時点から、風俗嬢としてポンコツまっしぐらです。S女界隈でNo.1を狙うなら、女王様兼痴女兼デリヘル嬢になるのが最短の近道だと思います。ウチのグループで『Ballondoll』の座を狙って下さい。フルネームで仕事をする権利を勝ち取って下さい。私が思い描く未来のNo.1嬢です。
私は風俗のプレイを出来ない、やりたがらにキャストさんを『サービス地雷』と定義づけています。女王様にはサービス地雷が多いのですが、その中には性格まで悪いクソな人までいます。今までは『サービス地雷か性格が悪いか』の二択です。なんて軽い表現をしていましたが、ふと考えてみました。女王様が性格悪い場合は例外なく、サービス地雷と性格悪いが複合しているのではないだろうか問題です。なので『サービス地雷』と『性格悪い』が複合する最悪最低の女王様をこれからは『人間魚雷』と定義する事にします。人間地雷だと地雷被りでややこしくなるので魚雷にパワーアップしときました。面接の時に猫を被られてしまうと、『人間魚雷』が紛れ込んでくる危険性があります。『おかちめんこの激ブス』の場合は面接で落ちるのでカテゴライズを必要としませんが、『人間魚雷』級の大外れ女王様は過去に居ましたよね。『伝説の地雷』さんなんて、まさに『人間魚雷』でしたよ。北陸地方のお店のキャストさんからも、『あの人は高確率でクレームになるので気を付けて下さい!』と伝言が回ってくるって凄くないですか?流石にそこまでの激低クオリティだと在籍をお断りする以外の選択肢はありません。女王様商売で気を付けないといけないのは、全国のS女系特殊性癖店で通用しなかった『サービス地雷』、『人間魚雷』が県跨ぎで移籍しようとする怖さがあります。ウチも第二期に散々やられましたので、懲り懲りなんです。第三期は『二度轍』を踏まないよう気を付けます。あの人達はどんな手を使ってでも、お店に紛れ込んでこようとしますから恐ろしいウイルスなんですよ。営業妨害レベルなので、魚雷という言葉に恥じない百害あって一利無しの存在となるでしょう。そんなんばっかりですよ。だから踏み絵じゃありませんが、サービス出来るか出来ないかをきっちり査定する必要があるんです。全くやれやれです。『仕事くらいはしっかりやれよ!』から管理しないといけない界隈って、どれだけ意識が低いんですかね?風俗から落ちこぼれてしまった女性の集まりに女王専門店をしてはいけないんだと思うんです。だから風俗のプレイを出来る事を女王様の絶対条件にしておいた方がクオリティ維持に繋がると思っているんですよ。S女店が抱える闇です。『S女スパイラル』は間違いなく存在します。恐ろしい話ですが、『SM奇譚
創戯旅団』が1,001夜(話)続くとしてもサービス地雷問題は永遠に解消されずに残っている筈です。昔から、サービス地雷問題は無くなった事なんか無いんですよ。静かにお店を蝕み始めるので油断も隙もありません。サービス地雷を撤去(地雷だけにw)するにはどんな手法が望ましいか考えたことありますか?私はこれだけサービス地雷問題と真っ向から向き合っているので分かります。サービス地雷撤去システムに、女性を介入させてはならない事だと思います。必ず誤魔化そうとするからです。私とスタッフとお客様がチェーンブロックとなり監視する事でサービス地雷、人間魚雷の排除をして行かないと良いお店には絶対になりません。ブラしてしまうとクオリティダウンにしかならないので、心を鬼にして監視と管理を徹底します。故に、これからもサービス地雷ネタだけは頻繁に取り扱っていきます。サービス地雷と人間魚雷では、処分に対する時間的猶予も別にしないとまずいでしょう。サービス地雷は全体の7割にまで及ぶ、女王様界隈の社会問題なので、時間的猶予を設定しながら、根気強く対処していかねばならないのですが、人間魚雷は毒でしか無いので、即処分を求められます。お客様の何割が、その女性を嫌うかもきっちりと見定めないといけません。中にはサービス地雷でも性格が良くて、好感度だけで評価を逆転させるレアパターンもあります。そこまででは無くてもサービス地雷でもM男さんにとってどストライクのルックスの場合もあります。不用意に、即処分も出来ない複雑さは意識しておかないとならないでしょう。それも致し方ありません。